[日記2004年12月21日(火)に思った健康のこと

舌で味わえ

食事
更新日:2009年04月05日(日) 19:54 [Edit]
舌で味わえ

自分の行動を観察すると、いろんなことがわかる。
京都探訪でも、1つの気づきがあった。
当たり前のことかもしれないが、日記にまとめておきたい。
多くの人たちは、食べ物を舌ではなく、脳で味わっている。

──たとえばこんな感じだ。

豆腐料理屋に入る。
すっごく美味しいと評判の店だ。歴史があって、背景があって、ガイドブックや個人blogでも絶賛されている。

店に入って腰をおろすと、客たちの声が聞こえてくる。
「おいしいね!」「うまいよ、これ」「わぁ……」
店内の雰囲気もよく、仲居さんたちの教育も行き届いている。
材料や調理法について質問しても、すらりと答えてしまう。
お品書きを見ると、目玉がポロリと落ちそうになる値段だ。

こんな状況で食べる豆腐の味を、どれほど正確に評価できるだろうか?

もちろん、味とはイメージである。
知識や雰囲気、同伴している人との関係なども、味を大きく左右する。
それはそれとして、いっさいの虚飾を取り払って、ふだん食べているものと比較することは可能だろうか?
言い換えるなら、私たちはどれほど舌で味わっているのか?

──こんなパターンも見受けられる。

  男「ほぉ……」←食べたけど、コメントしない。
  女「……わぁ、美味しいね♪」
  男「うん。美味しいな。やっぱ大豆の味が……」

察するに、男は豆腐の味をわかっていない。
少なくとも食べた瞬間に、大きな感動はなかったようだ。

相手の反応によって、味のイメージが脳内で固着する。
「よくわからない味」が「複雑玄妙な味」と変換される。
この判定が正しかったことを証明するために、知識が開陳される。
しゃべればしゃべるほど、イメージが肥大化していく。
最初にあった舌の感覚は、完全に塗りつぶされてしまう。
「うまいよ! うまいよ!」
途中で粘土にすり替えても、気づかないかもしれない。

うまい/まずいの感覚は、自分の中に、食べた瞬間ごとにあるはずだ。
相方のコメント(味覚)は、体調不良でまちがっているかもしれない。
自分が食べた皿だけ、味が異なっているかもしれない。

イメージ補正ばかり優先していると、やがて感覚の方が狂ってしまう。

  男「ほぉ……」←美味しいと思ったが、コメントしない。
  女「……味が薄いわね。醤油をかけましょうよ。」
  男「そうだな。味が薄いな……」

相手が美味しいと思うものを、自分も美味しいと感じるようになる。
ある意味、人間の素晴らしい側面なのだが、怖さもある。
男が自分の感覚に率直だったなら、自分自身の味覚が破壊されることもなく、相手の味覚を救うこともできたかもしれないのだ。

※相手側にも、イメージ補正はある。男が同意することで、女性は「やっぱり、これが美味しいんだ」と確信するだろう。
※相手の女性を、(自分より強い)上司や(自分より弱い)後輩に置き換えてみると、また印象も変わってしまう。

──大人より子どもの方が、味には敏感らしい。
これは、必ずしも感覚器の問題だけではないように思うよね。

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