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[日記2005年04月23日(土)に思った哲学のこと

歩いてみよう

歩いてみよう

果実をとる方法 【鳳凰篇】

文章を書き始めたのは、高校2年(1987年/16歳)の頃だ。
もう、人生の半分以上(18年)を費やしたことになる。それだけの時間をかけて、ただの1篇も完成していないのかというと、そうでもない。
友人Gと共同執筆していたのは大々長編だったが、もともとの私は短編好きだ。ロッド・サーリングや星新一のファンなのだ。よって、短い話をたくさん書いてきた。
最後まで読める小編も……あるにはある。

《では、なぜ発表しない?》

また、いつもの悪魔がやってきた。

《伊助よ、目を開けてよっく見ろ。時代が変わったのだ。
 個人が文章を発表する場所なんて、幾らでもある。
 身元を隠して発表することさえ可能だ。
 おまえは、職業としての小説家を目指していないと言ったな。
 では、なぜ発表しない?》

彫刻刀で刻み込むように、悪魔は語りかける。

《恥ずかしい? 自分が納得できてない?
 趣味だからこそ、好きなようにやらせてくれ?
 おいおい、よしてくれよ。
 おまえは、なにを見てきたのだ?
 こそこそ書きつづけても、果実は手に入らない。
 わかっているだろう?
 果実をとる方法は、1つしかない!》

振り向くと、もう悪魔はいなくなっていた。
交渉も、言い訳も受け付けないらしい。つれないヤツだ。

……果実をとる方法。それは、歩きつづけることだ。
ゆっくりでも、まちがってもいい。転んでも、迷ってもいい。
とにかく歩きつづける。
決して立ち止まらない。なにかを待たない。言い訳を探さない。
80歳であろうと、入院していても、明日死ぬとしても……同じだ。
効率的ではないが、しかしこれが唯一確実な方法なのだ(と思う)。

なんのことはない。いろんな本に書いてある「ありきたりの教訓」だ。これを理解するために、十数年を費やしてしまった。阿呆な話だ。

というわけで、私はいまここにいる。
小さくてもいい。拙くてもいい。とにかく文章を書き上げ、それを発表してみることにした。ただの日記ではなく、エッセイ風の、なんらかの感動があるものを書いてみたい。
まずは100篇、そして300篇もつづければ、なにかが見えてくるかもしれない。

その先に……なにがあるのか?
まぁ、なにもなくてもいいや。とにかく歩いてみよう。
いろんな景色を見ながら。いろんな人とお話ししながら。
好きなことをしているときは、その過程さえ楽しいのだ


《どっとはらい》

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