[日記2005年09月22日(木)に思った哲学のこと

純度調整

更新日:2009年03月22日(日) 01:54 [Edit]
純度調整

「好きなことに、100%を求めるな。」

X先輩はそうアドバイスしてくれた。
──なぜ100%を求めてはならないのか?
100%なんて存在しないからだ。そして、好きなことは歯止めが利かない。つまり、存在しないものを無限に追い求めて、自分自身を傷つけてしまうからだ。

たとえば、私の友人Eはカップラーメン好きだった。
Eは、食べたカップラーメンの味、量、材料、値段、満足度などをデータ化しはじめた。べつに、そーゆー仕事をしているわけじゃない。単なる趣味だ。同人誌を作ろうとしていたのだ。
やがて、Eは深く落ち込むことになる。
すべてのカップラーメンを調査することは不可能だからだ。やむなくEは調査範囲を絞っていく。すると、その制限によって好きなことが好きなようにできなくなる。
結果、なんのために食べているのかわからなくなってしまったのだ。

スポーツの世界は知らないが、文化系趣味においては断言できる。
「好きなことに、100%を求めるな。」
好きなことほど適当でいいのだ。また、そうでなければならぬ。

ショートショートを書いているとき、自分の中の純度が高まっていくのがわかった。
(もっと物語のことを考えたい。
 物語のことしか考えたくない。
 寝ても覚めても、車を運転していても物語のことを考えたい。
 邪魔するものがあれば排除して、もっともっと集中したい)

しかし集中すればするほど、ヨロコビが薄れていった
足りない自分を呪い、産まれた作品を蔑(さげし)んだ。
100%なんてありえないのに。

私はブレーキを踏んで、もっと適当にやることにした。
思考ノイズを増やして、仕事の割合をもとに戻した。予想以上に仕事が増えてしまったので、通常日記も途切れがちになってしまったが、やむを得ない。
純度が高すぎると、強くなる反面、脆くもなるのだ。

好きなことをするのは、あんがい難しいのではないかと思う。