日記  2006年03月18日(土) に思った 哲学 のこと

ラブコメアイ

ラブコメアイ

とある掲示板に、こんな書き込みがあった。

1. ツンデレって、いつからあるんだ?

2. ツンデレは昔からそこにあった
  ただおまいらが気付かなかっただけだ

──けだし名言だと思う。
ツンデレは、この数年で発生したものじゃない。その風習はずっと以前から存在していたが、最近になって名付けられ、広く認知されるようになっただけだ。
つまり、観測者の変化によって「見えるようになった」と言える。

昨日の日記で、ツンデレと天然は相反する属性ではないと語った。
どちらにも「内面の純真さ」があり、それゆえにかわいいのだ。
しかし他人の内面なんか、わかるものだろうか?

ハッキリいえば、わかるはずがない。
わかっていると思いこんでいるだけだ。
ということは、思いこみさえあれば、だれでも、なんでも、かわいく見えることになる

ツンデレ娘や天然娘を探すまでもない。
自分の「目」を変えれば、毎日がラブコメになる。
たとえば、こんな感じだ。

本気で嫌われているのに、「ツンデレなんだなぁ」と思ったり、
本気で無視されているのに、「この娘は天然なんだなぁ」と微笑んだり、
本気でやる気がないのに、「ドジっ子ちゃん♪」と許容したり……。

いうなれば、《ラブコメアイ》だ。
《ラブコメアイ》を装着した人は無敵だ。周囲から見ると滑稽かもしれないが、本人はハッピーな人生を歩めるだろう。

正直いえば、かなりうらやましい。

他人の内面は絶対にわからない。
ならば、都合よく解釈できる人の方が、確実に幸せになれるのだから。

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