日記  2006年04月28日(金) に思った 哲学 のこと

わり切れない=忘れられない

わり切れない=忘れられない

わり切れないものを、わり切れないままにしておくことができない。

たとえば、チョコ好きな彼女がいたとする。
いつもチョコをあげると喜んでくれたのに、ある日、突然怒り出してしまった。まったく理由がわからない。

  チョコが嫌いになったのか?
  カカオの含有率が低かったのか?
  私のことが嫌いになったのか?
  自己嫌悪に陥っているのか?
  もっとべつのなにかを期待しているのか?
  おかしなことを吹き込まれたのか?
  気に障る出来事でもあったのか?
  もとから癇癪もちの女性だったのか?
  これからも同じようなことが起こるのか?
  どうすれば次のトラブルを未然に防げるのか?

突きつけられた《謎》に、脳細胞がはげしく反応する。
しかし本を読んでも、聞き込み調査しても、推論に推論を重ねても、あるいは直接本人に問いただしても、納得できる理由は得られない。そうこうしているうちに彼女は自分が怒ったことなどケロッと忘れてしまう。

  本当に忘れたのか?
  忘れたふりをしているだけじゃないのか?
  忘れてしまうような女性と付き合っていいのか?
  私も忘れた方がいいのか?(いや、無理だ)
  少なくとも、忘れたふりをした方が互いのためか?
  それとも、きちんと話し合った方がいいのか?

思考の迷宮は終わらない。

こんな悩みを人に話すと、こうアドバイスされる。

「忘れなくてもいいから、わり切るんだよ!」

──なんだそりゃ?
わり切れないからわり切れないのに、どうしてわり切れるんだ?
9÷3ならわり切れる。10÷3ならわり切れない。
1つちがっただけなのに、わり切れないとはわり切れない!

もちろん、わり切れるときもある。
相手への興味を失ったときだ。どうでもいい人なら、どうでもいいからだ。
言い換えるなら、わり切ってしまった時点でその人は「どうでもいい人」になってしまう
わり切れないのは、つまり私がわり切りたくないからなのだ。

みんなはどうして、わり切れるのだろう?

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