日記  2006年05月29日(月) に思った 経済 のこと

同族経営より同人経営

同族経営より同人経営

シドニー・シェルダンの『ゲームの達人』を知っているだろうか?

ゲームの達人(冒頭)

90歳の誕生日を迎えた実業家ケイトは、自分が築き上げたものを見わたしながら、家族の絆を強調する。100年間、4世代に渡って拡大してきたブラックウェル一族の富。そのすべてを、ケイトは一族の末裔に継がせようとしていた。他のものが立ち入ることを許さない。許すはずもない。なぜならケイトにとって人生はゲームであり、その目的は家族に富を残すことだから...

つまり同族経営だね。
日本人の一般的な感覚から言うと、同族経営は好まれない。

「創業者一族が富を独占するのはおかしい。血族でなくても有能な人材はいる。外部の力を徴用しない組織は必ず衰退する。だから同族経営はヨクナイ!」

もっともな意見だ。
しかしこれは、従業員の視点から見た利己的発想でしかない。
もしあなたが創業者であったなら、どうだろう?

たとえば、毎年、莫大な金額で売れるマツタケが生える場所を見つけたとする。あなたはその秘密を、だれに伝えるだろうか? 場所の管理に専門家を呼ぶことはあっても、その権利は身内に遺そうとするだろう。そこに、公共の福利という発想はない。

「いや、おれは血族を優先しない」と言い切る人もいる。
しかしその場合でも、自分が愛するものに遺そうとするだろう。
自分の恋人、友だち、弟子、信奉者。自分を理解し、自分が理解できるもの。自分に近しいものたち。

人間、もっとも大切なものは自分だ。
その次に大切ものは、自分に似ているものであろう。自分に似ているもので富を分配しようとすれば、それは同族経営ならぬ同人経営となる。

同人経営にも、好ましからざる閉鎖的なイメージがある。社長が自分のイエスマンばかり集める図が思い描かれる。しかし私は、いちいち自分と意見が食い違う人といっしょに経営したくない。たとえ売り上げが倍増してもイヤなものはイヤだ。逆に、心を許せる相手とであれば、会社が倒産することになってもかまわない。騙されてもいいと思える相手でなければ、大切なものはわかちあえない。ゆえに有能な人より、心を許せる人(自分に似ている人)を優先したいと思う。

私は、効率が悪いものが大嫌いだ。
しかし、効率だけでは割り切れないものもあると思っている。
なんのために働くのか? なにを成し遂げるか? だれに託すのか?
こうした問いかけもまた、効率では測れないものがある。

......。
今日もまたトリトメのない日記になってしまった。

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