日記  2006年08月15日(火) に思った 哲学 のこと

リセット願望という病

リセット願望という病

「テポドンが落ちてきて、なにもかも壊れてしまえばいいのに」

知人の告白に、私は言葉を失った。
夜中にトートツに呼び出され、男2人で酒を飲んでいる。
なにがあったか知らないし、知りたくもない
誰かに話すことで気が晴れるのならと思って付き合ったけど、ちょっと失敗だったかもしれない。

目の前にある困難が大きすぎて、地道に解決していく気になれない。
なので天災や超常的なパワーによって、すべてが破壊されてしまうことを期待する。ちょうどゲームをリセットするように、困難をなかったことにしてしまいたい
それが「リセット願望」だ。

歳をとるにつれ、リセット願望を口にする輩が増えてきたように思う
「もう、どうにもならないんだ」
「高校時代からやりなおしたい……」
「会社が倒産してくれたら、転職できるのに」
どこまで本気か知らんけど、聞いている方は気分が良くない。彼らが明日にでも家に火をつけたり、会社を爆破するとは思わないけど、いささか心配だ。

仕事の愚痴とは、ちょっとちがうようだ。
10年以上同じ愚痴を言いつづけて、もはや改善の見込みナシと学習したのだろうか。いうなればマイナスの愚痴だな。愚痴をいうことで、さらに落ち込んでいる。

しかし私の目には、そこまで絶望するほど悲惨な状況には見えない

リセット願望を否定するつもりはない。
また、友人知人を「弱い人」とくくるつもりもない。
しかしヒトコト言いたい。

もっと映画や小説を見ろよ。
絶望を語るのは、まだ早すぎるぜ。

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