日記  2007年06月16日(土) に思った 哲学 のこと

認知的不協和

認知的不協和

人間は、自分の考え(認知)と矛盾する場面に遭遇するとストレス(不協和)を覚える。
これを「認知的不協和」と言う。

たとえば、学歴社会を信じて、つらい勉強を耐え抜き、一流企業に就職した人がいたとする。しかし与えられた仕事はつまらない。上司は学歴がないのに、自分より高給取りだった。
自分の信じてきた行動が、自分の信じてきた結果を生まない。
このストレスから脱するため、彼は解釈を変える

「いや、この仕事は素晴らしい! おれはこの会社に一生を捧げる」
 →自分の認知を変える
「上司はずるいヤツだ。いずれ失敗するだろう」
 →異なる認知情報を求める
「給料の高い低いなんて、人生の価値を決めるものじゃない」
 →情報の重要度を下げる

通りすがりの他人から見れば、彼の問題は明らか。
学歴社会は終わったのだ。彼は、自分の実績が認められる世界を探すか、新しいルールに順応するしかない。現実を拒否したり、偏見をもったりするのは愚かだ。

……と指摘できるのは、通りすがりの他人だけ。
対価を払ってきた当事者には受け入れがたい話だ。

──私もいま、認知的不協和に陥っている。
自分のやってきたことが、あんまり好きでなくなってきた。「だったら壊せばいいジャン!」と、以前の私なら言えた。なにも持ってなかったからね。しかし「いま」を作るため、それなりの対価を払ってきた。今さら間違っていたと認めるのはつらい。そんな苦痛を味わうくらいなら、解釈を変えた方がいい

「そうだよ! これは素晴らしい状況なんだ。
 それを理解しない連中は阿呆だ。
 この違和感なんて、大したことじゃない。
 私は立派なことをしてるんだ!!」

まぁ、現実は0か1かじゃない。
私の「いま」は、悪いところもあれば、いいところもあるんだろう。すべてを否定したり肯定するのはよくない。

冷静に、もう1度考え直してみよう。

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