日記  2008年02月13日(水) に思った 哲学 のこと

正義の沸点

正義の沸点

 誰もが正義を知っているが、それを行う機会は少ない。

2004年9月1日、ロシアの中等学校がテロリストに占拠される事件が起こった。「ベスラン学校占拠事件」である。7歳から18歳の少年少女とその保護者、1,181人が人質になった。 人質は体育館に集められた。このとき、13歳の少年が立ち上がって、「あなた方の要求には誰も応じない。われわれを殺してもなんの役にも立たない」と抗議した。テロリストの1人が「正しいと確信しているか?」と問うと、少年は「はい」と答え、次の瞬間、銃殺された。

 このニュースを聞いて、どう思う? 抗議した少年は誠実で、勇気ある人物だと思う。彼を英雄視する人も多い。しかし私は、少年のような行動はできないし、自分の家族や友人にもしてほしくない。つねに正義を行う人は、早く死んでしまうからだ

3日後、ロシア治安警察が突入した。激しい銃撃戦になって、テロリストたちは制圧されたものの、386人以上が死亡した。うち186人は子どもだった。

 つまり黙っていれば助かったのに、とは言えないわけだ。

 これを何万倍にも薄めた状況なら、頻繁に遭遇している。たとえば社長が横暴な命令をしてきたら、抗議するだろうか? 逆らえば確実に解雇される。しかし黙っていても、業績が悪化すればリストラされる。もちろん、社長の命令が正しい可能性もある。

 どうせ先のことはわからない。
 だったら、立ち上がって正義を主張した方がいい?
 だったら、黙っていても助かる可能性に賭けた方がいい?

 つねに立ち上がるのも、つねに黙っているのも、まちがいだと思う。
 状況に応じた判断があるはずだ
 では、その線引きはなんだろう?
 どんなときに私は立ち上がるだろう?

 たぶんそれが、自分の中にある「正義の沸点」なんだと思う。

コメント (Facebook)

思考回廊 日記
正義の沸点