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[日記2008年08月25日(月)に思った哲学のこと

テセウスの船 と 私

テセウスの船 と 私

 「テセウスの船」は、同一性(アイデンティティ)に関する思考実験である。

テセウスの船

英雄テセウスが乗っていた船を、アテネの人々は大切に保管した。やがて船板や櫂が朽ちてきたので、新しいものに交換していくと、いつしかオリジナルの部品は1つもなくなってしまった。これは本当にテセウスの船だろうか?
Wikipedia

質的に別物である

 構成要素のすべてが交換されてしまえば、それは別物と言わざるを得ない。では、何割のパーツを交換したら別物になるだろう? たとえば5割が限界と定義する。少しずつパーツを交換していって、船室の椅子を片付けようとしたら、哲学者が叱りつける。
「バカモン! それを交換したらオリジナル率が49%になってしまうじゃろがッ」
 想像してみると、奇妙な話だ。

意味的に同一である

 たとえ構成要素が入れ替わっても、意味が同じなら同じと言える。
 そういえば奈良の大仏は繰り返し修復されたので、鋳造当時のパーツは残っていないそうだ。それでも東大寺に坐しているものは「奈良の大仏」として認識される。では、交換された古いパーツで大仏を組み立てたら、それはなんだろう? どちらも本物なら、何個でも殖やせることになってしまわないか?

伊勢神宮は古い?

 伊勢神宮は、20年ごとにすべての社殿や鳥居を建て替えている。御装束も神宝もすべて新しくする。これを「式年遷宮(しきねんせんぐう)」といい、1300年前から続けられている。つまり伊勢神宮は最大でも20年の歴史しかないわけだが、そう考える人はいない。「定期的に新しく生まれ変わる神社」が伊勢神宮だからだ。仮に、境内にコンセントがあっても、ぜんぜん気にすることじゃない。

人間の場合

 私たちの身体も新陳代謝によって、日々、造り替えられている。だいたい6年で全細胞が入れ替わるそうだ。と言うことは、「2002年の私」と「2008年の私」では、細胞レベルでは同じものがないことになる。
 なんのことはない、別人に生まれ変わることは日常だったわけだ。

 テセウスの船は、同じものであるか否か──?

 それは見るものが自由に解釈できることだと思う。

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