日記  2009年01月13日(火) に思った 社会 のこと

「ブタは屠殺場へ行け!」

「ブタは屠殺場へ行け!」

最近知ったんだけど、「屠殺」は差別用語だったんだね。

北斗の拳で、ケンシロウがハート様に「ブタは屠殺場へ行け!」と言うシーンがあるのだが、現在の判では修正されていた。
このセリフはよく覚えている。「屠殺」というコトバがわからず、親父に教えてもらったからだ。このとき合わせて、ソーセージが腸詰めであることも学んだ。「ブタと話す気はない!」というセリフだったら、親父と会話することもなかっただろう。つまり現代の子どもは「屠殺」について学ぶ機会を1つ逸しているわけだ

「屠殺」がなぜ差別用語になるのか、よくわからない。
「ブタは食肉解体場へ行け!」だったら、問題ないのか? どんなコトバを使おうとも、家畜を殺す行為は日常的に行われている。それを知らず、肉を食べたり、革製品を使うことは問題ないのか? そもそもこれは悪口だ。適切な(差別的でない)悪口なんてあるのだろうか

さらに調べてみた。
被差別部落の人が屠殺業に従事することが多かったため、差別用語とみなされているらしい。そういえば、『カムイ伝』にそうした描写があった。しかしこのシーン、このセリフが、部落差別を助長するとは思えない。被差別部落を連想するコトバはすべて禁止と言うことか。
ATOK変換では、「被差別部落」というコトバそのものが注意される。○×、△□☆については、考えることも禁止らしい。

差別用語、放送禁止用語に、明確なガイドラインはない。出版社や放送局はクレームを避けたいので、ちょっとでも危険なコトバがあれば、どんどんカットしてしまう。おかげで、どれほどの作品が改変され、封殺されただろうか。これは一種の暴力だと思う。

現在の価値観で過去の作品をさばくのは遡及法であり、フェアじゃない。なにより「言葉狩り」は、思考の単純化・画一化をもたらす
それは新たな、そして大きな差別を生み出す土壌になるような気がしてならない。

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「ブタは屠殺場へ行け!」