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[日記2009年02月28日(土)に思った生活のこと

マックスコーヒーの思い出

マックスコーヒーの思い出

2月からマックスコーヒーが全国販売になっていた。

マックスコーヒー(略して「マッ缶」)は、千葉や茨城でのみ販売されていた缶コーヒー。「初代」は利根ソフトドリンクによって製造されていたが、のちにジョージアブランドに組み込まれた。私のような初代ファンは、ジョージア・マックスコーヒーは似て非なるものと考えているが、それでも全国販売はうれしく思う。
振り返ってみると、マックスコーヒーは私の青春時代を象徴するアイテムだった。
ちょっと思い出話をしよう。

液体燃料/飲むキャラメル

飲んだ人ならわかるが、マックスコーヒーはきわめて甘い。なにかの原液かと思うほど濃厚だ。それゆえ私たちは「液体燃料」と呼び、疲れたときに飲むと元気になるが、平常時に飲むと危険と認識していた。
当時、千葉の湾岸地区は幕張副都心に代表される建築ラッシュだった。至るところで工事が行われ、そこには必ずマックスコーヒーが転がっていた。工事現場で働く人たちが愛飲していたわけだ。それを見て私たちは、幕張メッセを造ったのはマックスコーヒーだと思っていた。

千葉が千葉であると知った

私は千葉に住んでいたので、自販機にマックスコーヒーがあるのは当たり前だった。10代後半になって行動や交友の範囲が広がって、それが地域限定商品だと知らされ、ショックを受けた。「チバラキコーヒー」と呼ぶ人もいた。
千葉は東京に近かったので、自分たちも日本の中心であると思う傾向があった。しかし東京と千葉は同一ではなく、東京にしかないもの、千葉にしかないものは多かった。そうしたギャップを教えてくれた最初のアイテムが、マックスコーヒーだった。

マックスvsジョージア

ジョージアブランドに吸収されたあと、マックスコーヒーのデザインは二転三転した。
2代目はジョージア缶が上半分だけを占める奇妙なデザインだった。3代目で過半数をとられたが、4代目で盛り返し、5代目で黄色に染まるものの、別物のデザインになっていた。私はこれを、マックス(千葉)vsジョージア(東京)の争いと見ていた。
現在は7代目で、だいぶ初代に近づいているが、初代のシンプルさ(野暮ったさ)にはかなわない。

はじめて110円を払った缶飲料

1992年(平成4年)、缶飲料の販売価格が110円になった。
当時、コイン1枚で買えないことへの不満は大きく、ひとりで不買運動をしていた(いま振り返ると馬鹿な話だ)。と同時に、マックスコーヒーが姿を消していた。のちにジョージアブランドで復活するのだが、そのときは販売終了したと思っていた。
(もう1度飲んでみたいなぁ)
探してみると、駄菓子屋で売れ残ったマックスコーヒーを見つけた。
(これは地球最後のマックスコーヒーかもしれない! 保護せねば!)
というわけで買ったのだが、駄菓子屋のオバチャンは110円だという。どう見ても100円時代に仕入れたものなのに。私は泣く泣くお金を払い、不買運動をやめた。
そのとき買ったマックスコーヒー(初代)は、いまも私の家にある。もう怖くて、飲むことはできない

ついでに思い出したことを書いておく。
高校時代まで、缶飲料は250mlサイズが基本だった。350ml缶はアメリカンサイズと呼ばれ、舶来品だったね。それから開缶はプルタブ式(ゴミが出る)が主流で、プルトップ式(ゴミが出ない)は珍しかった。ペットボトルもボトル缶もなかった。
振り返ると、いろんな変化があったなぁと思う。

どうでもいい話でした。


参考

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