日記  2009年03月20日(金) に思った 哲学 のこと

恥ずかしさ>楽しさの科学

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何度も言うが、私は楽器をひいたり、歌を歌うのは苦手だ。

なぜ苦手になったのか、ずっと考えているのだが、最近また少し理解できた。

先日、iPod touch のアプリをダウンロードして、ピアノを弾いてみた。上から落ちてくる玉に合わせて鍵盤をさわると、ぽろん、ぴろんと音がする。夢中で玉を追いかけていると、不思議とピアノが弾けてしまう。なかなか楽しい♪
『Happy Birthday to You』や『My Grandfather's Clock』は楽勝だが、『Jupitier』になると指が追いつかない。玉を見てから反射するのではなく、頭の中のリズムを再生して、音に対応するキーに指が動くような脳の回路がないと無理だ。
それを「音感」と呼ぶのかどうかは知らないが、私には難しい脳の使い方だ。だが嫌悪感はない。訓練すれば、ある程度はきそうな予感がする

ふと、もし他人が見ていたら......と想像してみる。
誰も見ていなければ、リズムが合っているかどうかなんて気にしない。気ままに歌うし、タンバリンも叩く。自分の楽しさに率直でいられる

しかし他人が見ていたら、声は小さくなり、楽器をひく手は止まる。自分のズレが気になって、恥ずかしくなる。頭が発表モードに切り替わるのかもしれない。

他人といっても、うちの嫁や古い友人なら遠慮しない。ズレた自分をあけっぴろげに披露できる。と言うことは、楽しさより恥ずかしさが上回ったとき、演奏(歌唱)が苦手になるわけだ。

もちろん、「恥ずかしいから歌わない」ではサラリーマンはやってられない。
歌わないでいる方が場の空気を乱す場合は歌う。しかしそれは、より恥ずかしいことを避けるために歌っているだけだ。そのとき私は、失敗しないことに集中しながら歌っている。心も凍り付く。

もともと私は対人恐怖症のヒキコモリだ。
人前で歌うどころか、話すことも苦手だった。20代前半は、この傾向のせいで苦労した。それがスクール教師になり、Webディレクターとなり、社長となることで、人前で話すことはだいたい克服できた。その反動なのか、演奏(歌唱)への苦手意識は強まってしまった。

自分のマイナス面は克服したい。しかし欠落もまた個性だから、すべてを克服できなくてもいい。ただ、なぜ自分がそうなったのかは理解しておきたい。もう少し研究が必要そうだ。

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