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[日記2009年12月18日(金)に思った社会のこと

死刑にされる権利

死刑にされる権利

世の中には、死刑願望をもった人間がいる。

アメリカのゲイリー・ギルモアは、殺人によって死刑判決を受けたが、いつまでも執行されないことに苛立ち、弁護士を通じて「死刑にされる権利」を主張。家族や死刑廃止団体の説得にも耳を貸さず、1977年1月、本人の望みどおり死刑に処された。
この事件によって、アメリカで高まりつつあった死刑廃止の潮流は打ち消され、各州で死刑が再開されたと言われている。つまり、死刑があるのに罪を犯す人間は、潜在的に死刑を求めていると解釈されたわけだ。

自殺志願者が自分で自殺できない場合に、他者や国家によって殺してもらおうとすることを、「拡大自殺」と呼ぶ。
わざと警官に射殺される「スーサイド・バイ・コップ」ならマシだが、死刑にされることを求める人間は犯罪を──それも確実に死刑判決が出るよう、凶悪犯罪を起こす傾向がある

死刑願望をもった人間がいることは、死刑の犯罪抑止力を訴える死刑存置論者にも、死刑の残虐性を訴える死刑撤廃論者にも、対処しきれない存在である。

死刑願望はアメリカ特有の現象と思っていたけど、日本でも類似の事件が頻発しはじめた。日本は1999年から、年間の自殺者が3万人以上を記録している。1日平均およそ90人。死刑願望が特殊なケースだとしても、いつ、どこで被害に遭うかわからない

警官の殺傷力を高めてやれば、阿呆は現場で始末できるので安心だ。裁判も省略できて一石二鳥だが……これはこれで怖い。

刑法には自殺関与・同意殺人罪があるので、「勝手に自殺しろ」とも言えない。

死刑にされる権利を認め、希望者には死刑を執行してやれればいいのだが、ブームになったら社会が崩壊する。公衆自殺機に行列ができるところを想像すると、そら恐ろしい。

いくら考えても、答えが思い浮かばない。

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