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[日記2010年05月17日(月)に思った娯楽のこと

[映画] アイ・アム・レジェンド 別エンディング / なぜ没になった?

[映画] アイ・アム・レジェンド 別エンディング / なぜ没になった?

『I Am Legend』の歴史を振り返ったばかりだが、DVD収録の別エンディングを見ることができた。

あまり大きな声じゃ言えないが、
別エンディングの方がおもしろい!!

てゆーか、これ、予告編に使われていたシーンでしょ。予告編を作ったときはこのエンディングだったのに、上映時に差し替えられたの? それをDVD購入者に限定公開するのは、おかしくない? 劇場に足を運んだ人はなんだったんだ? 2007年当時、劇場で観るか悩んだので、この別エンディングの存在はショックだ。

Alternative Ending(もう1つのエンディング)と言われているが、とある海外サイトではMust Watch: I Am Legend's Original Ending - This is Amazingと紹介されていた。
まさに、そのとおり。これこそが真のエンディングだ。
わずか7分間で、映画の意味がひっくり返った!

警告する。ここから先は超・ネタバレを含むレビューになる。映画本編を見てない人は、ここで読むのをやめるように。

2007年 - 『アイ・アム・レジェンド(I Am Legend)』 Original Ending

あらすじ

(ラスト7分前から)
ダークシーカーに侵入され、絶体絶命のネビル。「絶対に助ける。助けさせてくれ!」と懇願するが、言葉が通じない。そのとき、ダークシーカーのボスがガラスに蝶を描いた。冷静さを取り戻したネビルは、治療中のダークシーカーに蝶の刺青があることに気づく。
ダークシーカーたちはネビルを殺しに来たのではなく、彼女を助けに来たのだ。
ダークシーカーは治療を望んでいない。壁一面に貼られたダークシーカーの写真は、ネビルにとっては研究結果だが、彼らにとっては仲間の死に顔なのだ。ネビルは彼女の治療を中断して、ウイルスを注射してダークシーカーにもどす。目覚めた彼女は、自分を助けに来てくれたボスに感謝と愛情を示す。
「助けてやる」なんて思い上がりだった。ネビルが詫びると、心が通じたのか、ボスは猛る仲間たちを制止して、引き上げていった。
後日、ネビルはアナ親子とともにマンハッタンを去っていく。ダークシーカーへの対処法はないが、生存者を探すつもりだ。そしてラジオ放送で呼びかける。
──希望はある。あなたは独りではない。

感想

なんでこのエンディングが没になったのだろう?
本編のネビルは、最後の最後までダークシーカーの理性や社会性を認めなかった。ダークシーカーはあくまでも「怪物」であり、やっつける対象だった。わかりやすいが、浅い。
ところが別エンディングのネビルは、彼らの優しさ、崇高さに気づいた。ダークシーカーがネビルを殺さずに去ったのは、たとえるなら姫を助けに来た勇者が、仲間を殺した魔王を許すようなもの。恐怖や怒りに流されやすい人間には、なかなかできない芸当だ。
返礼として、ネビルはマンハッタンを明け渡す。人間の歴史は奪う/奪われるの繰り返しだが、ネビルは異種族に、万物の霊長の座を明け渡した。それは決して敗退ではない。
失ってばかりだが、希望が感じられる。清々しいエンディングだった。

もう一度言う。
なんでこのエンディングが没になったのだろう?

ネットを検索すると、「自爆エンディングの方がよかった」とする意見も見受けられた。原作小説を読んでなければ、価値観の逆転にこだわることもないから、わかりやすさを重視する。ダークシーカーに見逃してもらって、マンハッタンから追い出されるより、ワクチンを完成させ、親子を守って自爆する方がカッコイイ。とすれば、ワーナーブラザーズの判断は正しかった。配給会社が求めているのは売れる映画であって、感動は必須ではないからだ。

(監督が)いいと思っていたものが、(配給会社にとって)悪いものになる。
ここにも価値観の逆転があった!!

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