日記  2010年07月14日(水) に思った 娯楽 のこと

特撮補正でオッケーです

特撮補正でオッケーです

「ヒラさんには特撮補正があるんだよ」と友人Aに指摘された。

特撮補正とは、あるものを隠し、ないものを見る能力。
ぶっちゃけ、この補正ナシ特撮番組は見られない。だって、そうだろ? 着ぐるみの怪獣が模型の街を壊していることはわかってる。背中のファスナーも、宇宙船を釣り下げる糸も見えている。宇宙で「ピコーン」って音が鳴るわけがない。しかし不要な情報は遮断して、わずかな演出を脳内で増幅して、特撮番組は楽しむもんだ。

時代劇を見るにも同様の補正がいる。斬ったのに血が出ないとか、血が出すぎとか、夜なのに明るいとか、ひげのそり跡が青いとか、時代劇ファンだって気づいている。気づいているけど、気づかないふりをする。そういう送り手と受け手の共同作業によって、娯楽作品は成り立っている。いや、成り立ってきたというべきか。

最近の作品はあまりにリアルなので、こうした補正を必要とせず、見たまんまを楽しめる。昨今の作品に慣れた目には、過去作品は「ちゃち」に映るかもしれない。
だが、大事なのは、リアリティの高さじゃない
ちゃちな映像を補ってあまりあるストーリーの素晴らしさを評価してもらいたい。

「それはわかるけど、過剰な気がするんだよね~」

大筋は同意するものの、友人Aはなお訝しむ。
私の特撮補正は、効き過ぎだろうか? 特撮補正が暴走すると、単なるミスや不整合を超・好意的に解釈して、制作者も意図しない感動を引き出してしまう。シャーロック・ホームズの過剰なファンである、「シャーロッキアン」なんかもそうだ。あるものを隠すより、ないものが見える割合の方が高くなっている。

まぁ、多かれ少なかれ、特撮ファンはそうしたものだろう。
しかし自分が暴走しているとは思わない。

ちゃんと現実が見えているよ。任せておけ。

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