日記  2012年01月28日(土) に思った 娯楽 のこと

脳内タイムシフト機能

脳内タイムシフト機能

友人Aは、娯楽のリアルタイム性を重視している。

映画は封切られた日に見るべし。アニメは毎週毎週、つづきを楽しみに見るべし。ゲームの廉価版を待つなど、もってのほか。マンガも連載を追うのが望ましい。
もちろん、人間がリアルタムに触れられる情報には限界がある。友人Aも録画はするし、レンタル屋は利用するし、古典作品も読んでいる。それはそれ、これはこれ。娯楽はリアルタイムに触れるのがベストとする信念にゆらぎはないようだ。

まぁ、一理ある──。
とりわけゲームは劣化が早い。10年前のアニメは見られるが、10年前のゲームは古くてやってられない。いや、映画もそうか。10年前なら「すげー」と驚嘆したCG表現も、今じゃ稚拙すぎて吹いてしまうこともある。

だが、私は真逆のタイプだった。リアルタイムに娯楽に触れることはまったくない。テレビはすべて録画だし、映画館には何年も足を運んでない。古くなって、価格が下がって、人々の評価が定まってから見るのが慣例だ。
なぜか?
新作は過剰に宣伝されるため、ハズレを引きやすいからだ。予告編ですごく期待した映画も、1年もすれば凡作コーナーに埋もれてしまう。よい作品であれば、評価する声が聞こえ、再販もされるだろう。つまり時間が、凡作をフィルタリングしてくれるのだ。

「過剰に期待することも、ハズレを引くことも、娯楽の1つなんだよ!」
友人Aは熱弁を振るう。

「賢い楽しみ方なんて、加熱済みのレバ刺しであり、歯ごたえのない蒟蒻ゼリーであり、コンドーム越しのセックスだね。スリルと興奮は、映画館に入る前からはじまっている。失敗を恐れて、なんの人生か!」

まぁ、一理ある──。
が……生き方はそうそう変えられない。それに私は、リアルタイムじゃない視聴に慣れてしまった。先ほどの話を翻すが、10年前の稚拙な映像を見ても、10年前の気分で「すげー」と言えるようになった。頭の中を、その作品が公開された当時の認識にチューニングするのだ。私はこれを、「脳内タイムシフト機能」と呼んでいる。

脳内タイムシフト機能を実装したことで、私は古い作品をたくさん楽しめるようになった。あるいは、古い作品をたくさん見たことで(その時代背景をWikipediaなどで学習したことで)、慣れてしまったのかもしれない。

こうなると、リスクの出費の高い新作を追いかけるのは馬鹿らしくなる。友人Aとの溝は深まるばかり。
それでもまぁ、いまも友だちだけどね。ここはリアルタイムだ。

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