日記  2012年02月01日(水) に思った 科技 のこと

ネットの写真、集めてどうする?

ネットの写真、集めてどうする?

ネット巡回中に気に入った写真があると、つい保存してしまう。

猫の写真とか、猫の写真とか、猫の写真とか……。
気がつくとダウンロードフォルダが猫だらけになるので、せっせと整理する。
かわいい猫とか、きれいな猫とか、すてきな猫とか……。
さらに時間が経つとローカルディスクが埋まってくるので、外付けハードディスクに待避させる。
2009年の猫ちゃん、2010年の猫ちゃん、2011年の猫ちゃん……。

気がつくと、テラバイト単位の猫ちゃんがいる。これ、どうすんの?

過去にさかのぼって、必要ない猫ちゃんを削除する作業は……あまりに過酷だった。作業がつらいのではなく、猫ちゃんばかり見てるとゲシュタルト崩壊を起こすのだ。
そもそも、必要な猫ちゃんって、なんだ?
たまーに過去フォルダの猫ちゃんに癒されることもあるが、ごくごくまれ。「あの猫ちゃんをもう一度見たい!」なんて探すこともない。探すにしても、検索した方が早かったりする。
つまり……保存した猫ちゃんは、すべて必要ないのだ。

どうしてこうなった?

はじめてインターネットに接続したのは、1995年あたり。Netscape Navigator 2だった。あのころはブックマークすればよかった。ところが、サイトが突然消滅することがあるとわかって、お気に入り画像は保存するようになった。当時は回線速度が遅かったし、従量課金だったから、ローカル保存は不可欠だった。

で、現在──。インターネットは信じられないほど広大になった。べらぼうな高解像の画像が、さくさく閲覧できる。あいかわらずサイトは突然死するけど、オンラインストレージや写真共有サービスの充実によって、個人のハードディスクに死蔵されていた画像が放出されるようになった。
Tumblrなんかを見てると、ずーっと以前に見た画像が流れてくることがある。

(おっ、なつかしい! これ、私ももってるよ!)
と喜びつつ、奇妙な喪失感にひたる。

たとえるなら、古いVTRをどうしようか迷っていたら、同じ映像がYouTubeにアップされているのを見たような気分。拍子抜けするとともに、

(あぁ、これで私は最後の保存者ではなくなった。保存義務から解放される……)
と、安堵する。

いやマテ。義務などない。私が最後の保存者だったとして、猫ちゃんの写真1枚が消えたところで、地球上のだれが困るというのか?
と、わかっているのに、なぜ集める? 猫ちゃんはもう十分だ。やめろ。保存するな!

集めない人は集めないし、集める人は集める。
集める人は、集めてどうするのか、なぜ集めるかを、明確に答えられない。
これは、一種の性癖なんだろうな。

注:一部、比喩表現を使っています。

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