日記  2012年02月25日(土) に思った 社会 のこと

「かけ算の順序」論争で日本の教育が不安になった

「かけ算の順序」論争で日本の教育が不安になった

 先日、興味深いエントリーを見かけた。

 小学2年生になる娘さんが算数のテストで、「8人に ペンを あげます。1人に6ホンずつあげるには、ぜんぶで 何本 いるでしょうか。」という問題に「8×6=48」と答えたところ、バッテンを付けられたそうだ。正解は「6×8=48」だって。
 意味不明だ。かけ算の順序がそれほど重要なのか? それほど重要なら、なぜ重要か教えているのか? という問いかけ。

6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ

教育者の手にかかれば、簡単な問題も難しくなる

 かけ算は、被乗数(かけられる数)と乗数(かける数)で成り立っており、かけ算の順序がちがうと、文章題を正しく読めていないと判断されるそうだ。もっともらしく聞こえるが、大人でも戸惑うような理屈だ。ちゃんと説明してくれないと納得できない。ちゃんとした説明がなければ、「学校の先生はおかしい」と思うようになるだろう。

 調べてみると、「かけ算の順序」をいつ、どのように教えるかは論争になっているようだ。このエントリーでは、

1.かけ算の順序がちがうだけでバッテンをつけたこと
2.その理由を説明しなかったこと

 が問題視されているが、では「△」をつけて、「かけ算の順序は大事だよ」と教えればよかったのか? 先生サイドの意見では、「×」をつけないと子どもは学ぼうとしないし、小学2年生にあれこれ理屈を説明するより、「そういうものなんだ」と身につけさせることが重要らしい。
 これまた、もっともらしく聞こえるが……納得しづらい。

 「かけ算の順序」に意味があるかもしれないが、それより学ばなければならないことは多いだろう。そんなところでブレーキをかけても、かえって子どもを混乱させるだけだ。中学か高校で学んでも十分に間に合うだろう。

 これについても先生サイドの反駁があって、子どものころに「そういうものなんだ」と学ぶことが重要と主張する人もいた。しかし……根拠はない。異なるカリキュラムで生徒を教え、比較したわけじゃない。そもそも、そうした手法の検証はほとんどされていないようだ。

教育者の常識、大丈夫か?

 「かけ算の順序」については……、まぁ、いいだろう。クリティカルな被害はないだろうからな。それより問題なのは、似たような事例があるんじゃないかって疑惑だ。学校教育のあり方について、科学的な検証はされているのだろうか? よりよい教育手法が研究されているんだろうか? 先生たちの常識は、一般社会のそれと乖離していないのか?

 「かけ算の順序」は重要。子どものころから、あいまいに教えるのがベスト。
 先生たちもまた、「そういうものなんだ」と刷り込まれているんじゃないのか?

教育 vs 政治

 いま大阪で教育改革が進められているが、「教育現場に政治が介入するのはよくない!」という反対意見をよく耳にする。では、教育委員会が信頼できるかと言えば、答えはノーだ。絶対的にノーだ。相次ぐ不祥事、思想偏向、下降する学力……。信頼できる根拠を見つける方が難しい。
 しかし橋下氏の言うように、民意によって決めるべきとも思わない。アメリカでは、教育に民意が介入しすぎたため、進化論もまともに教えられなくなった。

 教育においては、いやなことも学ばなければならない。しかし民意は、いやなことを伏せる傾向がある。教育は、科学的に検証されるべきだ。
 しかし、「理想的な教育」を定義できなければ、検証もできない。考えてみると、奥が深い。

 いずれにせよ、親は学校をあたまから信用せず、子どもといっしょに学ぶくらいの覚悟が必要なんだろうな。

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