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[日記2012年11月21日(水)に思った社会のこと

そりゃ、大声で泣く赤ちゃんを飛行機に搭乗させるべきじゃない

そりゃ、大声で泣く赤ちゃんを飛行機に搭乗させるべきじゃない

 さかもと未明さんが雑誌に投稿した記事が物議を醸している。

 さかもと未明さんは飛行機で赤ん坊の泣き声に我慢できず、母親に文句を言って降りてしまったらしい。その上でJALにクレームをつけて、どうして改善できないのかを検証した。結果、航空会社に課せられた制約や努力をふまえても、なお議論する余地があると問題提起している。

大人の意見はわかる

 私は、さかもと未明さんを知らない。文章を読むかぎり、共感半分、疑問半分といったところ。直前で飛行機を降りる自由があるのは素晴らしい、ってのが率直な感想。
 しかしネットでは批判が目立つ。いわく、

「だいたい、1歳の赤ちゃんのふるまいを、コントロールできると思っている大人がいることが信じられない」
「気持ちはわかるが赤ちゃんが泣くのは仕方ないのでは。昔から、泣く子と地頭には勝てぬ、いうくらいで」
「ただの『嫌なおばさん』じゃなくて『迷惑なおばさん』ですね」

 まぁ、大人の意見だね。赤ん坊が神聖不可侵なのは同意するが、そこで議論を封じるのはよくないだろう。コントロールできない赤ん坊を機内に連れてきた親(大人)に責任はないのか? 小学生や高齢者、持病を抱えた人にも同様の我慢を強いるのか? 技術的に解決できない前提で、少し考えてみたい。

我慢するしかない相手に、迷惑をかけるな

 さいわい、私は機内で赤ん坊の泣き声に悩まされたことはないが、想像はできる。飛行機の中は、大人にとってもストレスが高い。そこに赤ん坊の泣き声が加われば、ぶち切れるのも無理はない。ぶち切れて飛行機を降りないのは、そうする余裕がないからだ。

 赤ん坊を叱ることはできない。親に、「特段の事情があったのか?」「万全の準備をしてきたのか?」と問いただすこともできない。大人は我慢するだけ。弱い立場だ。
 しかし「大人は我慢するのが当然」と思ったら、大まちがいだ。我慢するしかない相手に迷惑をかけることは、大人のすることじゃない。
 赤ん坊が神聖不可侵だとしても、親に同等の権利があるわけじゃない。

ルールの話じゃない

 Yahoo!では、「大声で泣く赤ちゃんは飛行機搭乗を遠慮すべき?」というアンケートがはじまっている。20日現在、「遠慮する必要はない」が過半を占めていた。

 これは設問がおかしい。「大声で泣く赤ちゃんを飛行機に搭乗させても、大人は我慢するのが当然?」とアンケートをとれば、結果は変わるだろう。

 高い飛行機のチケットを買うのだから、特別な事情があるに決まっている。周囲に迷惑をかける親は恐縮すべきだが、赤ん坊の泣き声に「すみません、すみません」と頭を下げる姿が重なれば、さらに憂鬱になるだけだ。
 こんなの、ルールで解決できる問題じゃない。

 特別な事情がないかぎり、乳児を飛行機の乗せるべきじゃない。

 周囲に迷惑をかけるのだから、遠慮した方がいい。どうしても我慢できない事情を持つ大人とトラブルを起こしかねない。それでも搭乗させるなら、相応の覚悟をすべきだろう。
 しかし、ルール化しない。何日も風呂に入っていない人は飛行機に乗るべきじゃないが、どのくらい臭いと駄目とか、どんな事情なら許容するとか、ルール化しても意味がないのと同じだ。

 つきつめれば、我慢できる人が我慢するしかない。しかし我慢することも、我慢させることも、決して当然ではない。

ギスギスしてきたのかな?

 そういえば9月にも「満員電車にベビーカーを乗せるな!」という議論があった。

「ベビーカーに配慮するのが大人だ」
「いや、満員電車は子どものためにもよくない。危険だ」
「そんな時間に電車を使わなければならない親の事情も勘案すべき」
「諸悪の根源は、定時出社を強いる会社の方だ」

 日本が衰退期に入って、いろいろ余裕がなくなってきたのかもしれない。
 十年もすれば、「どこまで老人を敬うべきか?」という議論が起こりそうだ。

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