日記  2013年02月03日(日) に思った 娯楽 のこと

卵を産む鶏を育てるニコ生の世界

卵を産む鶏を育てるニコ生の世界

 ニコニコ動画の「動画」より「生放送」を見ることが多くなった。

 「生放送」は編集されてないため、作品としてのクオリティは「動画」に劣る。しかしコメント応酬のライブ感や、放送主(ヌシ)のセンスが発揮されると、独特の魅力を放つようになる。タイムシフト機能もおぼえたから、より多くの「生放送」をチェックできるようになった。
 いろいろ見ている中で、視聴者の中から新しいヌシが生まれ、鍛えられ、メジャーになっていく流れがわかってきた。それはまるで、一種の生態系のようだった。

ユーザー生放送

 ニコニコ生放送(ニコ生)は、リアルタイムに配信される動画コンテンツ。プレミアム会員であり、コミュニティで動画投稿権を持っていれば誰でも放送主になれる。10年前は想像もできなかったサービスだが、個人がなにを放送するんだろう?

 全体の傾向はわからないが、私が見ている生放送はゲーム実況ばかり。ゲームのプレイ画面を配信して、あれこれコメントするわけだ。本来、主たるコンテンツはゲームだが、まれに放送主の魅力がそれを凌駕することがある。するとゲームはせずとも、ただの雑談だけで生放送が成立してしまう。ラジオのパーソナリティのようなものだ。
 見知らぬ個人の雑談がおもしろいのか?
 これはもう自分で確かめるしかない。おもしろいものはおもしろい。

新たなヌシを育てる環境

 「動画」にもファンがつくが、「生放送」の場合それが顕著だ。ヌシのためにイラストを投稿したり、広告を打ったり、はたまたサーバ構築やプラグイン開発を手伝う有志もあらわれる。その影響力は強い。ヌシが番組内でなにか商品について話すと、みんなこぞって買いに行こうとする(実際に買ってるかどうかは不明だが)。ちょっとした芸能人だ。

 そうなると、自分も魅力的なヌシになりたいとあこがれる人も出てくる。
 そうした駆け出しのヌシは、深夜帯で修行を積む。深夜は枠をとりやすく、無料になるからだ。過疎に悩まされ、心ない中傷を受け流し、トラブルを乗り越え、ファンを増やし、コミュニティレベルを高め、いろいろな特権を使えるようになれば、ゴールデンタイムに進出できる。

 いやぁ、よく考えられている。コンテンツを配信するインフラより、コンテンツを作り出せる人間(ヌシ)を育てる仕組みを構築したところに、ニコニコ動画の偉大さがある。卵を集めることも大事だが、卵を産む鶏を育てる方がもっといい。なかなかできることじゃない。

客が噺家を鍛える

 古谷三敏の『寄席芸人伝』の中に、客が噺家を鍛えるエピソードがある。駆け出しの噺家が客にいびられ、心が折れそうになるが、それでもがんばって芸を磨いていくと、客たちはきちんと座って噺を聞くようになる。そのとき噺家は、自分が客に鍛えられていたことに気づく。

 ニコニコ動画も、寄席に通じるものがある。ヌシは、視聴者のコメントによって鍛えられていく。賞賛によってモチベーションを上げ、無茶な要望に振り回され、誹謗中傷に心を折られ、それでも放送をつづけることで、魅力的なヌシができがある。
 もちろん体罰と同じで、精神的な暴力(誹謗中傷)が許容されるわけじゃない。誹謗中傷によって未来あるヌシが何人も心を折られただろうから。とはいえ、エンターテイメントの世界に優秀な指導者がいるはずがない。「客が鍛える」というと語弊があるが、駆け出しは客の反応を見ながら芸を磨くしかないのだ。

 こうした風習によって、ニコニコ動画のコンテンツは「どうすればおもしろくなるか?」を率直に追求するようになった。駄目なものは淘汰され、よいものは注目される。視聴者の思いが伝わらず、つまらなくなったテレビとは対照的だ。

 多くのヌシは若い。中には中学生で生放送しているヌシもいる。ていねいな放送で、多くの人が見守っている。刺激を受けて、私もやってみたいと思うが、歳をとったせいか億劫に感じる。やれやれ。文化の発信は若者たちの独壇場だ。

 というわけで、私はニコニコ動画の生放送を楽しく、微笑ましく視聴させてもらっている。

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