日記  2013年02月09日(土) に思った 社会 のこと

「自分の意志でやった」が無意味になるとき / AKB丸刈り謝罪動画問題

「自分の意志でやった」が無意味になるとき / AKB丸刈り謝罪動画問題

 AKBの丸刈り謝罪動画が気持ち悪い。

 恋愛禁止のルールをやぶって★お泊まり愛★したAKBメンバーが、丸刈りになって泣きながら謝罪する動画を公式サイトにアップロードしたのだ。「自分の意志でやった」「強制していない」と言われて、だれが信じるだろう? 仮にそうだとしても、こんな動画を公式サイトにアップすべきじゃない。AKBブランドは大きく傷ついたと思う。

 多くの人は動画に不快感をおぼえたようだが、一部のファンは彼女の決意を賞賛しており、それがまた気持ち悪い。また一連の流れは、世間の注目を集めるための「炎上商法」という見方もあるが、どうなんだろうね。

 もとより恋愛禁止などと言うルールを、生身の若い女性が守れるはずがない。守れないルールに違反するたび許しを請わねばならないとしたら、どこの宗教なんだと言いたい。遠からず次の違反者が出るだろうし、そのときまた丸刈りになってお詫びするか議論になる。それを避けるためには、

 1.ルールを見なおし、違反者を許す →炎上商法と疑われる
 2.違反者を解雇し、丸刈り謝罪は無意味だと示す →かわいそうと批判される

 といった対策が必要だが、まぁ、AKB運営者も厄介事を背負ったもんだ。

 正直言えば、AKBの未来に興味はない。しかしこの問題が、「自分の意志でやった」という釈明の無意味さを暴くかどうかは気になっている。

体育会系メンタリティの醜悪さ

 いま世間は、学校やスポーツ選手の「体罰」や「いじめ」「暴力指導」に注目している。「愛情があれば許される」とか、「本人も納得していた」といった理屈が踊っているが、そうした体育会系メンタリティの発露が、この謝罪動画である。
 この動画を見て、「彼女は立派だ」「ケジメをつけた」「厳しい時期だが、いずれきみの糧になる」と思えるだろうか? 先生の体罰はOKで、この動画はNGとする論理武装は難しい。そういう意味では、すごい爆弾が投げ込まれたと思う。

 大阪市の桜宮高校の生徒たちは、「自分の意志で教師の体罰を受け入れている」「だから早く指導を再開してほしい」と記者会見した。あれを見たときの気持ち悪さに通じるものがある。生徒たちが自分の意志で記者会見したと思っている人が、どれほどいるだろう?

 同級生にそそのかされて万引きした生徒は、「自分の意志でやった」と言われるだろうし、本人もそう釈明する。しかし弱い立場の人間が「自分の意志でやった」と言っても、まったく意味がない。

本心をどう見抜く?

 ここから極論。
 「自分の意志でやった」が無意味になると、本当の本当に殴ってほしい生徒の声を黙殺することになる。そんな例はないと言えるだろうか? 自分の意志で万引きして、叱ってもらえると思ったら、「空気に強制されちゃったのね」とか言われたショックだろうな。

 本心からそう思っているかどうかは、抑圧のない環境でなければ確認できない。しかし抑圧のない環境なんて存在しない。つまり他者が、その人の本心を聞き出すすべはないのだ。ハイゼンベルグの不確定性原理を彷彿させる。

 まぁ、そこまで議論が飛躍するとは思えないが、考えてみると興味深い。
 はてさて、どうなることやら。

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