日記  2013年03月16日(土) に思った 娯楽 のこと

ニコ生で見る「助けてもらう才能」に嫉妬する

ニコ生で見る「助けてもらう才能」に嫉妬する

 ニコニコ生放送を見ていると、トークの才能に感心することがある。

 厳密には「トークの才能」じゃない。滑舌が悪く、知識も見識もないのに、魅力的な配信者は多い。テレビやラジオとちがって、ニコ生にはコメントがある。リアルタイムで流れてくるコメントを拾ったり、流すことで、場を盛り上げるのがうまい。とりわけ、「悪意はないけど馬鹿なユーザーをやんわり追い出す」ところにセンスを感じる。

 ニコ生はユーザーの支持によってレベルが上がるから、高レベル配信者の「支配力」はすごい。コメントに振り回される配信者もいるが、結果的に多くのユーザーが楽しんでいるのだから、これはこれでアリだ。ゆるそうに見えるが、荒らされていないのには、理由があるものだ。

助けてもらう才能(タレント)

 テレビやラジオの配信は、基本的に「上から下へ」だ。知っている人が教える。ユーモアある人が笑わせる。できる人が見せる。配信者はなんらかの才能をもつから、「talent(タレント)」と呼ばれる。
 ところがニコ生は、なにもできない配信者が、コメントに支えられて放送している例が多い。というか、コメントを無視して情報を垂れ流す人は動画を作るから、生放送の配信者は多かれ少なかれ協調を重んじる。しかしコメントに支えられていても、だれにでもできることじゃない。

 たとえばゲーム実況では、むかしはスーパープレイや特殊なテクニックを披露する人が多かったが、最近はなにも知らない一般人が、いろいろアドバイスを受けながらクリアするパターンが増えた。しかし漫然とプレイして、コメントが盛り上がるはずがない。おもしろいコメントを引き出し、いやなコメントを出させない。そんな「空気を調整する能力」があればこそ、おもしろい放送が成り立つのだ。

次世代の共同作業か

 先日、Minecraftのオリジナルマップを作るという放送があった。
 サーバを立て、数十人の協力者をつのると、配信者は「やりたいことのイメージ」を伝えるだけで、協力者は一斉に建築をはじめた。みな、互いの名前も知らない人たちであり、チャットによる意思疎通もない。終始無言だった。
 配信者が現場をまわって、「これはいいね」「その発想はなかった」「ここが放置されてるよ」「それはちがうな」とチェックすると、協力者は軌道修正していく。やがて配信者は、「飯を食ってくる」と席を立ってしまった。それでも作業は進み、配信者が帰ってくると、マップは完成していた。

 こんな共同作業があるのか! 何時間も打ち合わせしたり、完成品に近いモックを作る苦労はなんだったのか?

 まぁ、このときのマップは不整合があって使い物にならなかったけど、問題点がわかったから、次の放送でカイゼンされるだろう。あれでまともに動いたら、本当に困ってしまうよ。

若い才能に嫉妬する

 こうした効果を、「助けてもらう才能」とか、「空気を調整する能力」と呼ぶのは正確ではないかもしれない。「カリスマ性」というのも違和感がある。なんと呼ぶかはともかく、心底、うらやましい。

 私が注目している配信者は、20代前半ばかり。「社会人経験がないのにすごい」か、「社会人経験がないからすごい」のか。いずれにせよ、彼らが世に出たらどんな仕事を成し遂げるだろう。楽しみだが、それはニコ生で配信されないだろう。

 殊勝なことに、彼らは「助けてもらう才能」で世の中を変えようとか、ニコ生でスターになろうとは考えていない。あくまでも趣味だから、就職したらやめると宣言している人もいるし、あっさり消えてしまった人も多い。プロじゃないから仕方ない。

 若い才能に嫉妬する。
 望んでも得られなかった才能を無駄遣いしないでほしいと思うが、そんなの余計なお世話だろうな。くそっ!

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