日記  2013年04月21日(日) に思った 社会 のこと

[報道・教養] NHKスペシャル「家で親を看取(みと)る その時あなたは」 / かつてなかった選択

[報道・教養] NHKスペシャル「家で親を看取(みと)る その時あなたは」 / かつてなかった選択

 録画しておいたNHKスペシャル「家で親を看取(みと)るその時あなたは」を見た。

 自分がどこで死にたいかなんて、ちゃんと考えたことはない。家族の死についても同様だ。怪我や病気になれば病院で死ぬだろうけど、もし運よく──運悪く──老衰したら? 老衰は病気じゃないから、治療の余地がない。少しずつ衰えていくだけ。
 超高齢化社会では、死を待つだけの人に病院のベッドを貸し出す余裕はない。国も、最後を看取る場所として病院から在宅に転換する政策を打ち出した。介護サービスが整備されていく中で、今後、家で死ぬ人は増えていくだろう。
 それは、親しい人が死にゆく姿を見る機会が増えることを意味する。

いつ死ぬか、いつ死なせるか

 現代の医療技術は、なかなか人を死なせない。歩けなくなっても、身体を起こせなくなっても、食事ができなくなっても、意識を失っても、死なないように管理できる。

 番組では、介護に疲れた家族が紹介されていた。年老いた母が胃ろうで生きながらえているのだが、もう会話もできず、しかし苦しみの声をあげるので、家族はつらい日々を送っていた。何度もパイプを引き抜いて、楽にしてあげたくなるが、それをやったら犯罪だ。また本人の意思が確認できないため、安楽死もできない。

 医師、介護者、家族が、「死なせてあげるべきかどうか」を話し合う。賛成でも反対でも、意見を言うのは抵抗があるが、沈黙は許されない。結果、胃ろうを中止して、死なせることが決まったが、その矢先、容態が急変して亡くなった。

 家族は、最後の決断をしたものの、実行せずに済んだ。
 なんとも言えない緊張と弛緩があった。

またもや親父の話

 私の父は、断固として「病院で死ぬ」と決めていた。
「治療を受けて、力尽きて死ぬ。終末治療も自宅介護もしない」
 あのときは、そんなことを強調する親父が奇妙だったが、親父の死後に日記を読み返すと、わかってないのは家族だったと気づく。

 人は死ぬ前に意識を失う。だから死の直前に、死に方の希望を聞くことはできない。あれだけ意思表示していたのに、病院は転院をすすめてきた。家族が流されたら、親父は意に反して介護される可能性もあったわけだ。

 まぁ、がんは死期を予測しやすいから、死に方も決めやすい。しかしほかの病気や老衰だと、そうはいかない。どこまで不自由になったら、どこまで迷惑をかけたら、どこまでコストがかかったら、死んだほうがいいと思うだろう? そのときになってみないとわからないが、そのときは意識がないので伝えられない。あれこれ悩むくらいなら、階段から転げ落ちて死ぬ方が幸福かもしれない。

 まだ早いと思ったら、もう遅い。
 もう遅いと思ったら、まだ間に合う。

 こういう話って、いつすべきなんだろうね。

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