日記  2013年07月09日(火) に思った 生活 のこと

好きじゃないスポーツをがんばる意義はあるか?

好きじゃないスポーツをがんばる意義はあるか?

 実家に帰ると、甥っ子が母親(=私の妹)に叱られていた。

 甥っ子はサッカーの試合中、蚊に刺されたらしい。最初は意味がわからなかったが、数秒後、それだけフィールドで動かなかったということを理解できた。妹は、甥っ子のやる気のないプレイに腹を立てていたわけだ。

 甥っ子は地元のサッカークラブに属しているが、サッカーが好きでも得意でもないから、なるべく疲れないポジション(キーパー)をやっているらしい。ボールが来ても緊張して蹴れないくらいだから、試合中に活躍できるはずもない。

好きじゃないスポーツなら、やめてしまえばいいのに

 スポーツをがんばるのは自分の意志であって、他人が命じることじゃない。サッカーが苦手でも、野球を好きになるかもしれないし、陸上で才能が芽吹くかもしれない。子どもにはいろんなことを経験させるべきだ。最初にやったことを「いいからがんばれ」と叱るのは乱暴すぎる。

 おまけにサッカークラブの練習は過密だった。土日すべてが埋まっているため、甥っ子には自由になる時間がまったくない。たまに伯父さん(=私)がやってきても、練習で遊べなくなると泣き出すほどだ。

 妹は、甥っ子がiPadのゲームで遊んでいると怒るが、サッカーをやりすぎても怒らない。サッカーは美徳で、ゲームは悪徳って考えが古すぎる。もちろんゲームに教育的な価値はないが、好きじゃないスポーツから得られるものがあるんだろうか?

だが、気軽にやめられる状況ではなかった

 とにかく子どもが少ないから、甥っ子が抜けると試合を組めなくなるそうだ。よって、下手だろうが、やる気がなかろうが、頭数としては絶対不可欠であり、退会はチームの破綻を意味していた。

 また、町内に同じ年頃の子どもがいないから、サッカーチームをやめると同世代の他社と触れ合う機会が激減するらしい。歩いていける距離に同級生はいない。サッカーチームをやめたら、土日は家に引きこもることになる。それよりサッカーチームで揉まれたほうがいいだろう。

 向き不向きで言えば、甥っ子はサッカーに向いてない。しかし世の中、不向きなことに挑戦する場面も少なくない。面倒な練習に参加して、みんなと調子を合わせ、ときにはチームメイトの意地悪と向き合う。そんな試練は、家でゲームをしても身につかない。
 そう言われると、好きじゃないスポーツをがんばることにも、意義があるかもしれない。

いやいや、ちがうだろう

 納得しかけたが、やっぱりちがう。好きじゃないスポーツなんか、やらなくていい。価値観を共有できない友だちは、友だちじゃない。そんな連中と足並みをそろえ、やりたいことを我慢するほうがよっぽど変だ。空気なんかクソクラエ。

 価値観を共有できる友だちは、ネットの向こうにいる。ネットは広大なのだ。だから甥っ子よ。早く文字入力を学ぶのだ。

 しかしサッカーの練習で疲れきってしまうため、文字入力の練習ははかどらなかった。ネットの向こうに友だちがいるなんて話は、小学2年生はもちろん、妹にさえ理解されない。
「文字入力のまえに、えんぴつで文字を書く練習よ!」
 と妹に言われれば返す言葉もない。

 なんとかならんもんかね。

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