日記  2014年08月06日(水) に思った 社会 のこと

サイコパスと共存すべきか

サイコパスと共存すべきか

 詳しいことはわからないが、佐世保高1女子殺害の加害者はサイコパス(精神病質)だったらしい。とすれば必要なのは「親の愛」や「教育」でなく、「治療」だったことになる。

 たとえば、足が不自由な子にマラソンさせるのは教育じゃない。
 親が面倒をみるにも限界がある。

 身体や知能に障害があれば、専門家を交え、社会で支援するのは当然とされる。しかし精神の障害は、そこまで理解されてない。精神病質の人間は社会に一定数いるのに、「命を大切にする教育」や「親の愛」でなんとかなると思っているから、悲劇が繰り返される。

 むかしは「狐憑き」とレッテルを貼って、隔離したり、秘密裏に処分してきた。それが正しいとは思わないが、家庭や学校で対処するのはまちがっている。精神病質を早い段階で見つけ、治療に切り替える仕組みを考えた方がよいのではないか?

隔離すれば安心だが、リスクは大きい

 とはいえ、精神病質を隔離する制度ができれば、いろいろ悪用される恐れがある。つい数十年前まで、「親の言うことをきかない」「変わった言動をする」というだけでキチ●イ認定され、隔離され、おとなしくさせるためロボトミー手術されていたのだ。

 精神病質といっても、リトマス試験紙で識別できるわけじゃない。異常と正常の境界はあいまいだ。異常が害悪ともかぎらない。それを一律で排除すれば、歯止めが効かなくなる。

 アメリカは貧富の差が広がっている。金持ちは貧しい家の子をリスクと考え、貧しい子がいない学校に通わせ、貧しい子がいないレストランで食事し、貧しい子が見えない席でスポーツ観戦する。
 すると金持ちの子は異物を排除することをためらわなくなり、そうした政策を支援するようになる。結果、格差はどんどん広がっていく。そうした寛容のなさは、アメリカ国内だけでなく、国外にも向けられる。

 社会を健全に保つためには、ある程度、異物といっしょに暮らしたほうがいいようだ。均質な社会は、潜在的なリスクが高まる。

 そう考えると、サイコパスを排除しない現行の社会は、排除する社会よりマシと言えるかもしれない。サイコパスによる犯罪はセンセーショナルに報道されるが、犯罪の総数に比べればきわめて例外的な事象だからだ。

 それでも「人間は均質ではない」という事実を教えるべきだ。
「話してもわかりあえない人がいる」
「常識や理性が通じない人がいる」
 そう教えると、イジメを助長したり、基本的人権がどうのと騒がれることになるのか。

 ううーん。難しい。

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