日記  2015年03月26日(木) に思った 娯楽 のこと

相棒が残念なことになってしまった

相棒が残念なことになってしまった

 私は、テレビドラマは撮りだめして見るスタイルだから、「相棒13で成宮が卒業する」とか「最終回は衝撃の展開」といったニュースは、きわめて不愉快だった。

 まぁ、放送後のネタバレは仕方ない。許せないのは、これから先の展開を告知することだ。成宮卒業のニュースは、シーズン中盤あたりで流されたが、劇中にそれらしい予兆はなかった。視聴率をあげるための小細工でしかない。めちゃくちゃ興ざめした。
 ついでに言うと、水谷豊のCMが入るのも興ざめだった。やめろよ。

 そして最終回である。

 ないわー。

 プロットより、脚本より、演出がヘタクソだった。視聴者を惑わす工夫をせず、音楽で盛り上げようとしている。目を覆うばかりの稚拙さ。これは最終回にかぎったことではなく、シーズン全体に言えることだ。

 相棒の魅力は個々のエピソードより、シーズン全体の構成にあったと思う。

 たとえばシーズン9では、ドラマの時間と現実の時間を同期させた「9時から10時まで」、小芝居を楽しめる「招かれざる客」、犯罪そのものは単純な「監察対象 杉下右京」など、スタイルの異なるエピソードを織り交ぜることで、新鮮味を保っていた。

 なのにシーズン12、13は、ストレートな推理ドラマばかりで、飽きてしまった。
 おまけにドラマも薄い。カイトは右京がはじめて選んだ相棒だが、なにか教え導くようなことはなく、挑発して成長を促すこともなく、ただの助手、ぶっちゃけ道具として使うだけ。カイトもそれに甘んじ、自分なりの正義や能力を示そうとしなかった。
 右京の推理を、したり顔で話すカイトは、見ていて悲しかった。

 定石に従えば、カイトは右京に反発し、否定し、挑戦し、挫折し、奮起し、乗り越えていくべきだった。右京に向かって「あんたは必要ない」(引退しても大丈夫)と言えるくらいの気合がほしかった。右京とカイトの関係は、大物俳優と若手俳優の上下関係しかない。

 たとえば、車の運転である。

 亀山時代は警察の車だったので、序列が下になる亀山が運転した。
 神戸時代は神戸の車だったから、神戸が運転した。
 カイト時代は右京の車だから、右京が運転した。

 成宮が運転に不慣れだったから、水谷が運転したという話もあるが、そうじゃないだろう。右京は相棒に車のハンドルさえ任せないという演出を入れるべきだった。

「おれが運転しましょうか?」
「ぼくの車ですから、ぼくが運転します」
「おれの運転じゃ危なっかしいですか?」
「ええ、そうですね」

 くらいの演出があっていいはず。

 あー、もう!

 どうしてこうなったんだろう?
 人気が出て、予算がついて、あれこれ注文が殺到したんだろうか?

 ほんと、残念である。

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