ファイナル・カット The Final Cut

2004年 外国映画 2ツ星 SF 記憶操作

SFにも、サスペンスにもなってない

その人の全人生を記録するマイクロチップ、ゾーイ。死後にしか取り出せない設定が秀逸で、備忘録とは区別される。もはや「死人に口なし」は成立しない。裁判はスムースになるし、犯罪抑止も期待できる。あるいはゾーイ移植者は社会的信用が高まるかもしれない。
むろん、いいことばかりではない。「死者の記憶」は法的、倫理的にどう扱われるべきか。改変が可能なら、証拠になり得ないか。精神を病んだり、頭蓋を破壊する殺人が増えるかもしれない。
人類はこの新たな技術と、どう付き合っていくのか?

と、さまざまな可能性を予測したが、劇中のゾーイは追悼上映会にしか利用されず、その社会的な功罪は言及されなかった。あまつさえ、追悼上映会における改変の是非さえ問われない。大企業社長の記憶も明かされないまま。ナンジャラホイ。この映画は、なにを描きたかったのか?

結局、主人公のトラウマが解消されるという、ミニマムな問題解決だけだった。SFにもサスペンスにもなってない。とても残念な仕上がりだった。

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