レビュー  2009年10月10日  に発表された 

ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~
Villon's Wife

2ツ星

ストーリーが整理されてない

さまざまな作品からイメージを拝借し、あたかも太宰治の物語のように見せる試みはいい。しかしドラマの結節点が曖昧なため、なにが言いたかったのかわからない映画になってしまった。キャラクターごとに考察してみよう。

青年(妻夫木聡) / 大谷の分身でありながら無視された

大谷に心酔して酒場にやってきた工員。崇拝がもつれて佐知に惚れ、キスするが、あやまちに気づいて逃げ去ってしまう。佐知も未練なく忘れてしまった。これで終わりかよ。つまるところ青年は、大人たちの不可解な関係に翻弄されただけだった。

大谷が青年を佐知にあてがったのは、斬新な解釈だった。青年は、いわば大谷の穢れを知らぬ分身であり、ここに大谷の卑屈な愛情が透けて見える。なので大谷が顛末を見届けず死のうとしたのは解せない。佐知が青年を拒絶すれば、穢れた自分が愛されている実感が得られたはず。また佐知と青年が関係をもっても、妻を寝取られた男の悲しみにふける愉悦があったはず。
大谷が妻の不貞を死ぬほど恐れていたなら、わざわざ青年をけしかけたりしない。言動不一致だ。

弁護士(堤真一) / 愛のないセックスをしたのか?

佐知より出世を選んだ弁護士。その代償に不本意な結婚を強いられ、ひたむきに愛された過去を思い出すが、もう佐知の眼に自分が映っていないことを知って身を引いた。ところが弁護士報酬と引き換えに肉体関係をせまるチャンスを得る。

おもしろい試みだが、なぜ結果を見せない? 口紅を捨てたのは、なにもなかったという意味か? たんぽぽが咲く花壇に葬られたのは、なにかあったという意味か?
弁護士も、パンパンと同じ口紅をつけ、身体を売る覚悟でやってきた佐知を抱いて満足したのか? あるいは手を出さないことで思い出を守ったのか? そこを描かなければ、彼を登場させた意味がないだろう。

愛人(広末涼子) / 死んだなら出てくるな

愛人が五体満足で生きていたなら、大谷が逮捕・勾留されることはない。つまりあれは幻覚だったと思われるが、そうとわかる演出がないのは不親切だ。
しかし問題は愛人の生死ではなく、佐知が敗北感を味わったことだろう。大谷への愛が揺らいだ佐知が、ラストで自分を肯定するためには、死んだ愛人より、生きている自分のほうが幸福だと思えるステップが必要だろう。
弁護士との交渉で立ち直れたとは思えない。あいまいだ。つまり愛人との心中事件が意味をもたない。だったら愛人なんか出さなきゃいいのに。

松たか子は愛らしいし、浅野忠信も存在感がある。
おもしろくなりそうだったのに、もったいない。

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ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~