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[レビュー1971年05月21日に発表された 

新・猿の惑星 Escape from the Planet of the Apes

知性ある異種族を受け入れられるか?

あらすじ

ミュータントたちの最終兵器によって地球は消滅した。しかしコーネリアス、ジーラ、マイロの3人はテイラーの宇宙船を使って脱出に成功。時空のゆがみを通って、1973年(上映の2年後)に飛来した。

アメリカ軍に収容された3人は、人間による迫害を恐れ、知性を隠そうとするが、やがて露見してしまう。アメリカ社会は猿たちを歓迎するが、大統領の科学顧問であるハスレイン博士は強い警戒心を示し、ジーラから未来の出来事を聞き出してしまう。

シリーズ5部作のうち、後半3作は「低予算で蛇足」などと揶揄されているが、私は気に入っている。「知性」への問いかけが強調されているからだ。

人間社会に異物(=知性をもった猿)がまぎれ込む設定は、ありきたりでも、1作目の逆転でもない。コーネリアスたちは人間の脅威を学習しており、知性を隠そうとするからだ。しかし知性はプライドを伴うため、隠しとおすことはできなかった。ジーラの軽率さをなじるのはたやすいが、我が身となれば難しいだろう。

ハスレイン博士の論理は無茶苦茶だが、最初から猿の抹殺が目的だったとすれば納得できる。博士は、知性ある異種族を受け入れられなかったのだ。知性はプライドを伴う。知性の低い一般大衆が猿たちを受け入れたのとは対照的だ。できれば、ハスレイン博士が警戒する理由を描いてほしかった。テイラーの宇宙船を操作できたマイロ博士に嫉妬したのかもしれない。

サーカスの団長は、「どうせなら俺は、あんたらに支配されたいと思うよ」と言い出す。人間が人間の為政者に辟易するのはわかるが、その解決を異種族に求めるのはよくないだろう。まぁ、目くじら立てるようなシーンじゃないけどね。当時のアメリカ人が、自分たちの社会を誇っていなかったことが透けて見えるシーンだった。


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