安直すぎやしませんか?

あらすじ

 宇宙移民船「アヴァロン号」は惑星「ホームステッド2」に向け、120年にわたる自動航行をつづけていた。5000人の乗客と、258人のクルーは、冬眠ポッドで眠っている。
 あるとき小惑星が衝突したことでシステムに障害が発生。エンジニアのジムは予定より90年早く目覚めてしまう。このままではホームステッド2に到着するまえに死んでしまう。しかしクルーを起こすことはできず、本社への問い合わせには55年かかり、ふたたび冬眠することもできなかった。

 1年後、孤独にたえかねたジムはお気に入りの美女・オーロラの冬眠ポッドを操作して、起こしてしまう。オーロラは運命にショックを受けるが、やがてジムと親しくなり、愛し合うようになる。

 オーロラはジムが自分をわざと起こしたことを知って、激怒。これは一種の殺人だった。ふたりは反目したまま2年を過ごす。ふたたびエラーによって甲板長のガスが目覚める。ガスは障害箇所を特定するが、多臓器不全のため亡くなってしまった。ジムとオーロラは協力してシステムを復旧。5000人の乗客を救う。

 ガスのクルー権限によって、1人だけなら冬眠ポッドを使えるようになるが、2人はこのまま船内で過ごすことを選択。
 90年後、人工冬眠から目覚めた人たちは、船内に生い茂る樹木を見て驚く。それは2人の男女が生きた証だった。

 予告編では「宇宙船の中で目覚めた男と女」という切り口だったが、映画は「まず男が起きて、孤独にたえかね、女を起こした」という経緯だった。意外と言えば意外だが、いずれオーロラが事実を知って破局することは予見できたため、だいぶ気持ちが覚めてしまった。私なら、下記のように演出する。

妄想リメイク

 主人公はオーロラ。冬眠ポッドの故障で目覚め、ジムと出会い、絶望し、ジムと愛し合うようになったが、疑念が頭から離れなかった。
(ひょっとしたらジムが私を起こしたのではないか?)
 オーロラの権限で冬眠ポッドのログを参照すると、やはりジムが操作していた。オーロラは怒った。
 これは殺人であり、レイプだ。ジムへの愛情は「ストックホルム症候群」と「吊り橋効果」による錯覚だ。決して彼を許すことはできない。

 しかし独りで過ごしていると、やはり人恋しくなる。オーロラは、ジムがどうやって孤独を堪えていたのか知りたくなり、監視カメラのログを再生する。

 ジムは孤独のため、精神を病んでいた。何度も自殺を試みた。ほかの冬眠ポッドや機関部を壊そうとしたこともある。しかしそのたび、オーロラの冬眠ポッドを見て、正気を保っていた。ジムは、オーロラを守るために生きていた。
 あるときシステム障害によっていくつもの冬眠ポッドが破損。ジムは、オーロラの冬眠ポッドを守るが、誤って冬眠が解除されてしまった。オーロラが目覚めるまでの一週間、ジムは元に戻そうと奔走し、できないと知ると自分を責めつづけた。やがて気を取り直し、すべての痕跡を消して、彼女の目覚めを待ったのである。

(事故だったのかもしれない。そもそも悪いのはジムではなく、杜撰なシステムで運用した企業ではないか?)

 この気持ちも、極限状況がもたらす錯覚なのだろうか? ジムの部屋を見てみると、以前と同じように狂気の淵にいた。ジムは死んで侘びたいが、自分の死後、船内に取り残されるオーロラのことを思うと死ねなかった。もはやジムを憎む意味はなかった。

 たとえばオーロラの妹も冷凍ポッドで眠っていて、妹を起こすかどうかでオーロラが苦悩すれば、ドラマも深まっただろう。あるいはジムが起きていた時間が10年だったりすると、悲壮感が増すかもしれない。

後半はアクション映画

 後半はめちゃくちゃ。いきなり目覚めた3人目は、助言をして、権限を渡して、死んでいく。なんだそりゃ!

 こうなると杜撰な設定を無視できなくなる。5000名以上が乗って、100年以上も航行するのに、システム障害によってクルーが目覚めることもなく、予備の冬眠ポッドは1つだけ。亜光速でぶっ飛んでいるのに、宇宙遊泳を楽しめちゃう。乗客に階級があるのも首を傾げる。他人のリストバンドでも認証無しで使えちゃうとか、セキュリティも甘い。
 バーテンロボットも唐突だ。あんな生体部品を、100年以上保持できんの? あれが可能なら、受付ロボットがいてもいいじゃん。あるいはロボットとの擬似恋愛がテーマでもよかった。

 移住者の価値観への踏み込みも浅い。ホームステッド2への乗客は、移住を強制されたわけじゃない。みずからの意志で地球を捨てたわけであり、ゆるやかな自殺とも言える。オーロラは往還レポを公表するというプランを述べたが、ジムは多くを語らない。どんな思いで船に乗ったか。そうした背景を薄いから、決断も軽く見えてしまう。

オリジナル脚本のほうがいい

 この映画のラストは、オリジナル脚本からだいぶ書き換えられていた。プロットをまとめると、おおむね下記の通り。

オリジナル脚本の結末

 ガスの死後、ジムとオーロラはメインコンピュータの不具合を修正するが、そのときのエラーで、乗客とクルー、すべての冬眠ポッドが宇宙に排出されてしまった。オーロラは「ジムに起こされなかったら、今私は彼らといっしょにあそこにいただろう」と戦慄する。
 ふたりは宇宙船のアダムとイブとなり、終生の愛を誓う。

 宇宙船がホームステッド2に到着し、たくさんの人々が出てくる。彼らはジムとオーロラの子孫たち(もしくは遺伝子バンクによって生み出された乗客たちの子孫たち)だった。

 オーロラを起こしたことは許されざる罪だが、結果的に救ったことになり、帳消しとなるわけだ。なるほどね。
 しかしクルーがなくても航行できるなら、クルーを乗せる意味ないじゃんとか、そんな宇宙船が地上に不時着できるもんかとか、ツッコミどころもあるが、リリース版よりましか。
 オリジナル脚本のガスはコールドスリープを繰り返したことで800歳になっているそうだ。『LILY-CAT』にも、そんな設定があった。地球はおろか、どの惑星とも時間を共有しない800歳のクルーは、どんな助言をするだろう?

 「子孫の漂着」は不可避のエンディングだろう。クルーたちが目覚めると大家族に出迎えられ、「私たちの祖父母の話を聞いてください」で終わればよかったのに。ジムとオーロラが子どもを作らなかったことも、まぁ、ホームステッドIIに到達するのは孫の世代であるから、やむを得ない判断といえる。しかし子どもがいないということは、夫婦のどちらかは孤独に死んだことになる。あるいは片方が死んだら、その後を追ったのか? このあたりも悩ましい問題だが、映画は目をそらしている。

 宇宙移民線とコールドスリープと言えば、パンドラムを思い出すが、あれも怪物によって後半は腰砕けだった。SFではありきたりなネタだが、あんがい、きちっと描くのは難しいようだ。

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