創作  2008年08月23日(土)に書いた 夢日記

第21夜:味のない人生

第21夜:味のない人生

 の中で、私は小学校の先生になっていた。

 受け持ちのクラスに、味覚のない少女がいる。外見に変わったところはないし、成績も言動もふつう。しかし集団の中では目を引く存在だった。私の先入観のせいかもしれない。
 なぜ味覚がないのか? 理事長の話によると、先天的な障害ではなく、生後すぐに手術で味覚神経を除去してしまったのだ。両親たっての希望で、「死の味」を避けるためだとか。人間は死ぬとき恐怖や苦痛を感じるが、それは味覚として脳に伝わる。つまり味覚がなければ、やすらかに死ねるというのだ。
 味覚を取り除くことが、医学的、心理学的、法律的、倫理的に正しいかどうかは知らないし、知りたくもない。私は児童の両親に意見する立場ではないし、いまさら失った味覚はもどらない。眼球を失った人に光がもどらないように。

 お昼、児童たちと一緒に給食を食べる。
 給食は美味ではないが、食べるヨロコビはある。「おいしい」と「まずい」がわかることが幸福だと思う。だから私は、味覚が衰えることを恐れている。しかし彼女は、最初から味がわからない。リンゴの爽やかさも、パンの香ばしさも知らない。
 彼女はほかの児童といっしょに給食を食べている。スプーンで芋を刺して、口に運び、もぐもぐしているが、味は感じていない。粘土を与えても、同じようにもぐもぐするだろう。
(ヨロコビを知らなければ、それを惜しむこともない......)
 なるほど彼女は死に瀕しても怖れることはなさそうだ。そんな彼女をあわれに思うのは、傲慢だろうか。酒飲みが下戸を見下すように。

 ある日、彼女の両親が学校にやってきた。
 両親は驚くほど老いていた。記録によれば27歳で産んだとあるが、いま何歳なんだ? 彼女を産んで急速に年老いたのか、それとも彼女は見た目よりずっと齢をとっているのか?

「まだ、あの娘の手術が終わっておりませんで......」
 老婆の話によると、彼女の舌の根っこに神経が残っており、かすかな苦みを感じているという。次の手術で、その根を完全に取り除いてしまいたい。老夫婦はその休みを申請に来たのだ。私はつい反対してしまった。望みがあるなら、摘み取ることはないでしょうと。

「お若いですな、先生」
 枯れ木がつぶやいた。少女の父親だ。タバコを吸ってないのに、タバコの匂いがする。
「あなたは自分の価値観を押しつけようとしている」
 いま、彼女の味覚を完全に取り除けば、死の苦しみだけでなく、生のよどみからも解放される。これ以上成長することなく、半永久的に若さ(幼さ)を維持できる。つまり幼生成熟(ネオテニー)だ。それは夫婦にとって長年の夢である。この手術のために、夫婦は子をなしたのだ。

 私は口をつぐんだ。
(狂ってる。これ以上話しても意味はない......)

 なにもできない。また職を賭して彼女を守る義理もない。
 告白すれば、私は少女が苦手だった。あの異質な感じは、どうにも受け入れがたい。
(少女が少女のまま、味を知らぬまま100年生きたとして、それは幸せなのか?)
 私はそれを見てみたいと思った。
 しかし私の寿命はそこまで長くない。行く末を見たいなら、私も味覚を捨てなければならない。自分も観察対象と同じ状態になってしまったら、その検証に意味はあるのだろうか?

 という夢を見た──。
 年老いた両親はすごく不気味だった。じつは少女は味覚を失っておらず、両親が生物時間を吸収しているのではないかと思った。夢の中では時間が錯綜するため、両親の若い頃や、200年後の世界も見たんだけど、よく覚えていない。何度か少女と会話したはずだけど、やはり思い出せない。
 目が覚めて、すぐメモをとったので、夢日記に書き出すことができた。書いてみると、こんな夢を見る自分はやばいような気もする。

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