第26夜:縄文時代のバロック建築

2009年 夢日記
第26夜:縄文時代のバロック建築

 山奥で大学校舎を建てていると、遺跡を掘り当ててしまった。

 巨大な講堂(天主堂?)である。荘厳な造りはヨーロッパを彷彿させるが、古代日本人の手によるものと判明した。
 これは世界遺産どころじゃない。歴史をひっくり返す大発見だ!

 私たちの作業は中止になるが、まぁ、やむを得ない。
 道路も通っていない山奥に、建築資材とともに投下された私たち。校舎が完成するまで突貫工事をするはずだったが、調査隊と入れ替わりで下山することになるだろう。

 ところが、何日経っても調査隊が来ない。無線で問い合わせると、施主が怒っていた。
「遺跡はつぶしてかまわない。
 サボってないで、作業を再開したまえ!」
「そんな馬鹿な! 遺跡の価値をわかってるんですか?」
 私は抗議したが、聞き入れてもらえない。
 はじめは、施主が遺跡の発見を秘匿しているのかと思ったが、そうではない。ちゃんと政府や研究機関にも通達されたのに、「調査の必要なし」と判断されたのである。

(見もしないでつぶせとは、どういうわけだ?)
 私は写真をたくさん撮って送付したが、返答は変わらなかった。その写真を掲示板などに流出させ、遺跡の価値を世に問うてみたが、やはり反応はない。
 だれがどう見ても普遍的価値があるはずなのに、だれがどう見ても価値を認めてくれない。

 困ったことになった。
 地中から掘り出したせいか、遺跡はどんどん錆びていった。保護スプレーを吹きかけているのだが、もうすぐ尽きるし、なによりスプレー代が高すぎる。保護費用は建築予算に含まれていないから、私の持ち出しだ。すぐ調査隊が来ると思ってフンパツしたけど、このままじゃ貯金を使い果たしてしまう。冗談じゃない。

 あらゆる手段に訴えたが、公的支援は望めそうにない。
 では、個人的に保護するか? そんなの無理だよ。
 そもそも私は、ここに校舎を建てるために派遣されてきた。私が拒否すれば、次の担当者が送り込まれるだけ。どうせ保護できないのに、維持に金をかけるのは無意味だ。それに、だれも価値を認めない遺跡を守ってどうするのか?
 私は弱気になっていた。

 遺跡を歩いて、頭を冷やそう。

(それにつけても、精緻にして大胆な造りだなぁ。
 どんな人が設計したんだろう?
 どれほどの人数で、どれほどの歳月をかけて完成したんだろう?
 古代人にできて、現代人の私にできないことがあっていいのか...)

 ふと、新たな気持ちがわき起こってきた。
 それは嫉妬だった。

 どうせ残せないなら、遺跡を現代風にアレンジすればいい。
 私は作業を再開することにした。

 ...という夢を見た。

 目が覚めて、冷静になって考えると、縄文時代にバロック建築があるわけがない。
 だれにも信じてもらえないのも、まぁ、仕方ないなと思った。