第30夜:箪笥めぐり

2009年 夢日記
第30夜:箪笥めぐり

 あわい期待が無かったと言えば、ウソになる。

 仕事に疲れた私は、遠く丹波の山にやってきた。
 一里塚で足を休めていると、あとから来た男がとなりに腰掛けた。登山客ではない。東京から私を追いかけてきた新聞記者である。
「絵が動かなくなったワケを教えてくださいよ」
 記者の問いかけを、私は無視した。
 なぜ絵が動かなくなったのか、いつになったら動くのか?
 知るもんか。そもそも私は、自分の描く絵が動く理由も知らないのだから。

 私が描く絵は、なぜか輪郭や細部が動いているように見えた。
 この意図せぬ効果によって、私は多大な評価を受けた。ところが、昨年から絵が動かなくなってしまった。ごまかすにも限界がある。私はもう絵を描けなくなったのだ。

 逃避行を兼ねて、私は"箪笥めぐり"をすることにした。
 多くの人が心配するかと思ったが、あっさり見送られた。しかし1人だけ、執拗に追い回す記者がいた。好きになれないやつだが、私は放っておくことにした。

「あれは……なんです?」
 記者が指さす方向を見て、私は驚喜した。
「"箪笥(たんす)"だ!」
 私は立ち上がって、茂みをかき分けた。
 大きい。山の斜面に埋まっているが、3階建てのビルくらいはあるだろう。それでも箪笥に見えるのだから、遠近感が狂う。私は意を決し、一気に箪笥に飛び移った。
 振り向くと、あの記者も飛び移っていた。
 状況がわからず不安だろうに、大したもんだ。

 "箪笥"は、一種の怪奇現象である。
 山を歩いていると、ひょっこり木造の直方体に遭遇する。見た目は家にある箪笥そっくりだが、ケタ外れに大きい。もちろん人間が造ったものではない。正体は今もって解明されておらず、生き物だと指摘する人もいる。
 この地には五つの箪笥があって、そのすべてに触れると福がもたらされると云われている。しかし箪笥は神出鬼没で、登山家が捜索しても見つけられず、おつかい帰りの子どもがひょこっと見つけたりする。"波長"があるのかもしれない。

 4年前、私は箪笥を二つ見つけた。
 あのときは箪笥の言い伝えを知らなかったので、それ以上探すことなく帰ってしまった。それから仕事が忙しくなって忘れていたが、ふと思いだし、再挑戦することにした。
 一度見つけているのだから、たぶん大丈夫。
 そう信じていたが、これほど早く見つけられるとは!

 箪笥の上に立つと、次の箪笥が見えてくる。
 遠くにあっても、木の枝に隠れていても、箪笥から箪笥ヘは、ひょいと飛び移れる。こうして私たちは、五つの箪笥すべてを見て、触ることができた。
 最後の箪笥は内部も見ることができた。箪笥の中には、人のいない街があった。

 夜道を歩いていると、前方から青白い光がやってきた。
 "バス"だった。
 タイヤのついたバスではない。引率の先生が子どもたちをロープで囲って、ごっこ遊びをしているのだ。子どもたちは燐光を放っており、よく見ると地面に足がついてない。この世ならざるものであることは明らかだ。

(なんてこった。"箪笥"のみならず、"バス"にも遭遇できるとは!)

 驚くべきことに、バスは私の前で立ち止まった。
「お乗りになりますか?」
 先生がそう言うと、子どもたちの顔が一斉に私を見上げた。

 帰るべき街とは逆方向だが、街に帰っても仕方ない。
 乗せてくださいと頭を下げ、ロープをくぐらせてもらう。バスの中は広かった。空気がちがう。このまま、どこかへ消えてしまうのも悪くない。

「出発しまーす」
 期待に胸がふくらむが、わずか数歩で急停止した。身体が前につんのめる。なんだろうと思っていると、先生が悲しそうな顔で振り向いた。
「未練を残していますね?」
 ふと、あの記者はどこへ行ったのかが気になった。
 思っていたことを言い当てられたのか、指摘されてから気づいたのか、よくわからない。しかし俗世のことを考えてしまったため、私はバスに乗る資格を失ってしまった。
「残念ですが」
 ロープがすっぽ抜けて、私は地面に放り出された。
 ちょ、ちょっと待ってくれ!
 あんな記者はどうでもいいんだ。ちらっと頭をかすめただけで、未練なんかない!

 しかし弁解は、星空に吸い込まれてしまった。
 夜道に立っているのは私だけだった。

 という夢を見た。
 箪笥めぐりに成功して、福が訪れるはずだったのに。
 そういえば、あの記者も五つの箪笥を見て、触っている。だから私は妨害されたのか? 早い段階で記者を始末しておくべきだった。