第02話:声のある暮らし ss02
2005年 ショートショートとなりに、若い夫婦が住んでいる。
旦那は見たことないけど、奥さんはとびっきりの美人だ。引っ越しの挨拶をしたら、なんとなく親しくなれた。家の前で出くわせば、ちょっと世間話もできるくらいだ。
家に閉じこもる仕事をしているおれにとって、奥さんの存在は貴重な"癒し"だった。そのほっそりした姿を見て、その涼やかな声を聞き、その清楚なにおいを嗅げたなら、二週間は元気に暮らすことができた。
しかし、いい話ばかりじゃない。
このアパートは安普請なので、となりの声が筒抜けなのだ。おれは独り暮らしで、音楽も聴かないから、となりの音は明瞭に聞き取れる。逆に、向こうはこれほど音が漏れているとは気づいていないだろう。
夜の奥さんは、驚くほどオシャベリだった。
ほとんど一晩中、旦那と話している。旦那の声が低すぎるのか、女性の声が通りすぎるのか、壁を通して聞こえてくるのは奥さんの声ばかりだった。
それがまた、よかった。
聞くともなしに……いや、正直、おれは聞き入っていた。
そして、オタノシミの夜──。
細かく書くのも野暮だが、とにかく激しいのだ。昼間の奥さんの顔を知っているだけ、興奮してしまう。目をつむると、自分が奥さんとシテいるような錯覚に陥る。
そうなのだ。おれは、奥さんに惚れはじめていた。
◎
1年が過ぎるころ、おれは部屋を出て行く決心をした。
奥さんとの暮らしに、耐えられなくなったからだ。奥さんが話しかける声、笑う声、怒る声、すねる声、泣く声、甘える声、そして歓喜に満ちた声……。おれではない男に向けられた声。声。声。
耳を塞いでも声が聞こえるようになったとき、おれは本気でヤバイと思った。いま出ていかなければ、なにかシテしまいそうだった。
退室の手続きをしているとき、おれは大家さんに訊ねた。
「となりの旦那さんは、なにしている人なんすかね?」
「となり? あそこは独り暮らしだよ。旦那さんは2年前に事故で亡くなったよ」
「えぇ?!」
「ははぁ、奥さんと話したんだね。
あの人はちょっと心を病んでいてね、旦那さんの死を受け入れていないんだよ。私も驚かされたことがあるよ」
そのとき、おれは決断した。
「大家さん、すみません!
部屋を出て行くの、やっぱりナシにさせてください!」
あっけにとられる大家さんに、おれは深々と頭を下げた。
そして、頭の中でいろんなことを考えていた。
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