第43話:弔問客 きのう、親父から借りたまま返してなかった本を見つけた。 そこで思いついた一遍。 「3人の弔問客」というタイトルにしようと思っていたが、3人目は間男なので改題した。 ストーリーを思いついたときのヒント(キーワード)が題名になることが多いが、 それだとネタバレしたり、話の筋と微妙に異なる場合もある。
2008年 ショートショート「ご主人からお借りしていた本をお返しします……」
主人の先輩にあたる紳士は、袱紗に包まれた本を取り出した。
きょうは主人の告別式。厳格で、口うるさく、殺しても死ななそうだった人だったけど、突然の発作であっけなくこの世を去ってしまった。たくさんの弔問客がお見えになっている。これも主人の人柄だろうか、誰もが敬意を払いつつも、その厳しさを皮肉るところがあった。
「几帳面な方でした。
お借りしていた本も、再三再四、返却を求められておりましてね。すると妙に返すのが悔しくなる。それでお会いするときはわざと忘れて行き、よく叱られました」
ところが主人が亡くなると、反発する理由もなくなり、こうして本を返しに来たと言う。
私は主人に思い出に本をお持ちくださいと申し出たが、借りた本を返すのは当然ですからと、断られた。紳士は寂しそうに微笑んだ。
◎
「奥様、私はこれから自首します」
見知らぬ弔問客はそう告白した。突然のことにびっくりしたが、話を聞いてさらに驚いた。端正な顔立ちの紳士は、じつは会社を横領していたと言う。それを主人に見咎められ、自首を命じられた。彼自身、罪を悔いていたのだが、命令されて自首するのは腹立たしい。そこで「証拠はない」と突っぱねていたのだが、主人が亡くなり証拠も証人も消えてしまうと、罪悪感だけ残ってしまい、堪えきれなくなったという。
私はなにも言えず、去りゆく紳士の背中を見送った。
◎
深夜、片付けを終えたころ、主人の部下だったカズオが裏口から入ってきた。カズオはなにも言わず私を背後から抱きしめ、首筋に熱い息を吹きかけた。ぞくぞくしたけど、私は腕をふりほどいた。
「あなたとはもうオシマイよ」
カズオは驚き、なにやら訴えていたが、私の耳には届かなかった。
私は浮気していた。でも、カズオとの情事が好きだったわけじゃない。密会したあと、主人と過ごす時間が好きだったのだ。ぐりぐりした目で見つめられ、名前を呼ばれるたびに、不貞を喝破されるのではと恐れ、感じていた。だけどもう、あの人はいない。あの緊張感がないのに、浮気する理由はなかった。
ぐずるカズオを追い出して、私は主人の遺影と向き合った。
私もまだ若いから、誰かを好きになることもあるでしょう。だけどあなたの過ごした日々ほど濃密で、愚かな時間は得られない。
「光が強ければ、影もまた濃くなるのね……」
私は祭壇にお線香を添えた。
(986文字)