第44話:夫婦の食卓 このショートショートはフィクションです。 実在する個人を彷彿させる部分があったとしても、それはまったくの偶然ですので、 あらかじめご了承ください。
2008年 ショートショート「ちょっと! あんた、味がわかってんの?」
ある日、晩飯を食べていたヒデは、嫁さんに注意された。突然だったので、なんに怒っているのかわからない。相づちを打ちつつ、直前の状況を思い出す。えぇと、晩飯を食べていたら「おいしい?」と聞かれて、「うん」と答えた。この会話のどこが悪かったのか?
「なにを食べてもおいしいって言うじゃない!」
ようやく状況が把握できた。生返事がよくなかったらしい。
「いや、本当においしいよ。食事を作ってくれて、感謝もしてる」
気持ちを伝えようとしたが、言葉が浮かんでこない。ヒデは味音痴なうえに、口下手だった。それをわかって結婚したはずなのに、嫁は許してくれなかった。
「感謝してるなら、漫画読みながら食べるのはやめてよ!」
指摘されて、ヒデは漫画をしまった。
「それと、がっつくのもやめて。エサじゃないんだから」
知らぬ間にだいぶストレスが溜まっていたようだ。ヒデは神妙な顔で料理と向き合い、ゆっくり食べた。な、なにか気の利いたことを言わなければ……。
「このキャベツ、うまいね!」
「それはレタス」
食卓は沈黙につつまれた。
◎
「それ以来、どうにも食事が苦手になってしまったよ」
「それは大変だな」
職場でヒデは悩みを相談してきた。私はヒデと高校時代からの付き合いだし、奥さんとも面識がある。些細な問題に見えるが、ダムに空いた小さな穴のようなもので、なんとか手を打たねばならないだろう。
「とはいえ味音痴の男が、急にグルメ漫画の主人公にはなれないだろう」
「そうなんだよ」
「ここは誠意を示しつつ、あまり料理に踏み込まない方がいいと思う。映画でも見ながら食べれば、そのうち落ち着くんじゃないか?」
「そうかなぁ」
「そうだよ、それしかないって!」
私はヒデを励ました。
そうなのだ。料理と向き合っても解決しない。私も食べたことがあるが、奥さんの料理はマズイのだ。それも殺人的にマズイ。そのことに奥さんも気づいていない。作る方も食べる方も鈍感だからこそ成立したカップルなのだ。
よく言われていることだが、夫婦は互いに向き合ってはならない。
◎
「あ、そうそう。うちのやつ、妊娠したんだ」
ヒデは嬉しそうに告白した。
「それはおめで……な、なんだってぇーーーーーッ!?」
将来の可能性に気づき、私は言葉に詰まった。
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