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[創作] 2008年10月06日(月)に書いたショートショート

第58話:吾輩は犬である

第58話:吾輩は犬である

 吾輩は犬である。

 名前はあるかもしれないが、とんと見当がつかぬ。
 ご主人様との関係は、おおむね良好。
 そう思うのは、散歩の回数が多いからだ。昨年あたりから回数が増えた。ほぼ毎晩である。夜の散歩は味気ないが、鎖につながれた日中を思えばありがたい。

 散歩のコースは決まっていて、同じ場所をぐるぐる回ってばかり。最近は、ご主人様がどこかへ消えてしまう。
 そのあいだ、吾輩は公園のポールにつながれているわけだが、待ち時間はとても切ない。これじゃ家でつながれているのと変わらない。

 待ちわびて、ご主人様を呼ぶこともある。
 つまり大きな声で吠えるわけだが、こうするとご主人様はすぐ戻ってくる。このときの反応は複雑で、怒っているのに叱らず、好物のジャーキーをくれることもある。もっと早く吠えればよかったか。

 ある夜、いつものようにご主人様を待っていると、縄がすっぽ抜けていることに気がついた。自由の身になった吾輩は、付近を散歩することにした。

 歩いていると、怪しい人物を見かけた。と思ったら、ご主人様だ。
 アパートの物陰で、双眼鏡をかまえている。電柱にしがみつく姿勢は、ポールにつながれた吾輩よりつらそうだ。声を掛けようと思ったが、やめた。もう少し自由を満喫したい。

 アパートの反対側に出ると、大きな車が停まって、若い娘が降りてきた。
 香水の匂いで鼻がムズムズする。
 車が去って、娘がアパートに入ろうとすると、黒い人影が襲ってきた。娘さんが悲鳴をあげる。なんだかわからんが、本能が命じるままに吾輩は駆け出した。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「と、とんでもないッス。
 メグミさんを救えて、こ、光栄ッス!」
 娘さんは何度も吾輩とご主人様に頭を下げた。
 香水は勘弁だが、気だてのいい娘さんじゃないか。

 吾輩が撃退した暴漢は、さきほどパトカーで連行された。娘さんは「あぃどる」で、昨年あたりから「すとぅかぁ」に付きまとわれていたらしい。それで警官が近くにいたのか。
 よくわからんが、みんなが褒めてくれる。気分がいい。

「こ、これからも会っていただけませんか?」
 カチコチのご主人様がお願いすると、娘さんがまた頭を下げた。
「ごめんなさい。私、留学することになったの」
 空気が抜けた人形のように、ご主人様はへたり込んだ。

 それっきり、散歩の回数は激減した。

 吾輩はいいことをしたはずなのに、この仕打ちは納得できない。
 なにが悪かったのだろう?


(997文字)

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