第64話:過去を捨てた女
2009年 ショートショート「お母さん、なんで今ごろ?」
カスミの声は震えているが、強い非難が込められていた。無理もない。幼少時に自分を捨てた母親が突然、現れたのだ。恨み言もあるだろう。
私はカスミの親代わりとして、この再会を見届けなければ。
「ごめんね、ごめんね」
母親は小さく繰り返すばかり。よく見ると美人だが、いかんせん表情に精気がない。
このままでは埒があかないので、間に入って事情を聞くことにした。
◎
カスミの母親は、過去を捨てた女だった。
家出同然に上京し、コツコツ働くものの、明るい未来が見えてこない。そこで全財産をはたいて、全身を美容整形した。それは骨格を変えるほどの大手術だったらしい。
容姿が変われば、性格も、運勢も変わる。
生まれ変わった彼女は多くの恋愛を経て、青年実業家と結婚、カスミが産まれた。
そして、忘れていた事実に気づく。
娘がみにくく見えはじめたのだ。旦那は自分の過去を知らないし、知られたくない。なにより、容姿に悩む娘を育てたくない。思い余った彼女は、カスミを捨ててしまった。
その後の人生は、恵まれないものだった。
娘が行方不明になったことで、ほどなく離婚。それから複数の男に身をよせるが、家庭を築くことはなかった。今は地方のスナックで働いているそうだ。
最近になって、娘がテレビに映っていることに気がついた。
カスミは人気絶頂のアイドルだった。そのプロフィールを調べて、直感が確信に変わったと母親は言う。
「だって、カスミも......したんでしょ?」
そのときの表情を、なんと形容すればいいだろう。
たしかに、カスミには整形疑惑がある。しかしそれを、実の母親が、こんなにも嬉しそうに指摘するのか。愛情とねたみ、軽蔑、媚びの入り交じった笑顔......。
私は、とんでもない妖怪を連れてきてしまった。
次の瞬間、カスミの平手打ちが炸裂した。
「出てってッ!」
母親は椅子から転げ落ちたが、嬉しそうだった。私は母親を立たせて、引き取ってもらうことにした。
「可愛そうな人ね」
去りゆく背中に、カスミが声をかける。
「ま、まさか......?」
震えながら、母親が振り返る。
「あなたは整形する前から、きれいだったのよ」
◎
そのあとのことは、よく覚えていない。
取り乱した母親を取り押さえるのは、本当に大変だった。「美人母娘、感動の再会」企画は失敗だった。
しかし、得たものもある。
カスミは強くなった。
実の母親にもシラを切れるのだから、女優に転向してもやっていけるだろう。
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