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[創作] 2009年12月27日(日)に書いたショートショート

第70話:作品と作家は同一ではない

第70話:作品と作家は同一ではない

「ジロウさん、あたし、スタジオを辞めようと思うの」

 ユミちゃんが突然ヘンなことを言うので、ぼくはコーヒーを噴いてしまった。
 原稿をもっていたので、あわてて2人でコーヒーを拭き取る。間一髪セーフ。

 なんだか気が抜けたので、休憩を入れよう。スタジオには、ぼくらしか残っていない。もう少し作業はあるけど、終電までには終わるだろう。
 ベランダに出て、外の空気を吸った。

「ごめんなさい、びっくりさせちゃって」
「いいよ。それより本当に辞めちゃうの?」

 ぼくらは、とある漫画家のスタジオで働いている。
 ユミちゃんは優秀なスタッフで、チーフアシスタントのぼくを支えてくれる。辞めてほしくない。でもユミちゃんは漫画家としてデビューするつもりはなく、ずっとスタジオで働きたいと言っていたのに。

「だって、先生はまったく漫画を描かないんですもの」

 ユミちゃんは先生の作品を愛していた。「崇拝」と言ってもいい。上京してきたのも、原稿が産まれるところに近づくためだった。
 しかし先生は絵を描けない。
 下絵もペン入れも、企画もストーリーも、すべてアシスタントがやっている。先生はよくテレビに出演して、サブカルチャー論を語っているけど、あっちが本業なのだ。

 作品と作家は同一ではない。
 業界じゃ有名な話なんだけど、地方出身のユミちゃんは知らなかったようだ。

「才能って、やっぱり遺伝しないのね」
 ユミちゃんは寂しそうに星空を見上げた。

 先生は二世漫画家だった。
 絶頂期にあった先代が早世して、多くの作品が宙ぶらりんになったけど、息子が仕事を引き継いだ。幼少時からスタジオに出入りしていた息子には、父の才能と魂が宿っていた......などと宣伝されたけど、全部ウソ。スタジオと出版社、代理店が結託してビジネスを存続させただけの話だ。

「ねぇ、先代の作品も、ジロウさんが描いていたの?」
 ふざけた口調で問われたのに、
「まさか。描いてたのは親父だよ」
 つい本気で答えてしまった。

「え?」
 ユミちゃんは目を丸くした。
「あー、つまり、ぼくは二世アシスタントなんだ」

「えッ! えぇーッ?」
 てっきり知ってると思っていたから、こんなに驚かれるとは思わなかった。
 デビュー当時は先代が描いていたけど、絶頂期はほとんど親父が描いていた。だから、つつがなく作品を継続できたわけだが......しまったな。またユミちゃんの夢を壊してしまった。

 長い沈黙のあと、ユミちゃんは呟いた。
「......結婚してください」

(995文字)

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