第73話:青雲の志 マゾヒストがいなければ、サディストは育たないそうです。 今夜でショートショート6本目。 ストックしていたわけじゃなく、3行程度のアイデアメモを、毎晩清書している。 こーゆーのは、勢いがつくと止まらない。 メモはまだ残っているけど、明日も書けるだろうか。

2009年 ショートショート
第73話:青雲の志

「先生! 今こそ起ち上がるときではありませんか!」

 どえらい剣幕でヤマダ秘書が詰め寄ってきた。
 いつも物静かな分だけ、激高するとおっかない。才能ある秘書なのだが、この青臭さはどうしようもない。

「先生はおっしゃいました! この国を根本から変えると!
 そのため古い体制に雌伏するのだと。
 しかし今の先生は、古い体制そのものではありませんか!」

 どんっと食卓を叩くので、料亭の皿が飛び跳ねる。わしは食事をあきらめ、秘書と向きあった。

「たしかに今なら政変を起こせる。
 だが、そのあとはどうする?
 確実に理想を実現するため、もう少し待たねばならんのだ」

 今後のプランを滔々と語って聞かせるが、全部デマカセ。ようやく手にした利権を手放すつもりはない。

「ですが先生。私はもう堪えられません。
 理想のためとはいえ、汚れ仕事ばっかりじゃないですか」

 苦渋の色を浮かべるヤマダ。しかし彼こそが、この地位を築いた最大の功労者である。
 ヤマダは篤実な男だが、汚れ仕事がじつに巧い。暴力団との取り引き、マスコミの懐柔、対立候補の妨害などを、きれいに処理してくれる。あるいはイヤな仕事だからこそ、効率よく片付けられるのかもしれない。

「すまぬ。今しばし力を貸してくれ」
 頭を下げると、ヤマダは矛を収めてくれた。

 ヤマダが退室すると、隣室に控えていた息子がふすまを開けた。

「よろしいのですか? 父上」
 会話を聞いていたようだ。不満が多い秘書を使うのは不安だろうが、そうではない。
 いい機会だから、説明しておこう。

「ああ言うが、ヤマダは汚れ仕事の天才だ。
 そして天才は、自分の才能を眠らせておけない。あやつは、良心の呵責に苦しむことなく、才能を発揮したいのだ。
 本当にイヤな仕事をつづける人間はいない。
 使われているのはむしろ、わしの方だろう」

 思わぬ評価に息子は驚いたが、しばしの沈黙のあと、仰天の報告をした。

「じつは父上、ヤマダが、私の秘書になりたいと言ってきたのです。
 新たな改革の旗手として......」

「なんと! それは僥倖!
 わしは人生に満足しつつあるから、危ないと思っていたが、そうか、次の主におまえを選んだか。
 よし。わしは引退し、おまえを後継者に指名しよう」

「い、引退はまだ早いのでは?」

「いいや、ヤマダが見切ったなら、わしの凋落は近いのだろう。天才の見立ては正確だ。
 次はおまえが、あやつの才能を引き出してやれ。
 人々に輝ける場所を与えてやるのも、政治家の責務だからの」

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