第75話:恐怖の引き継ぎ 「先輩から技術を学びたいが、先輩のようになりたくない」 という話から思いついたネタ。 最初は「ハードな仕事をなんとも思わない奴隷になりたくない」という路線で書いたが、 リアルすぎるので、幽霊という要素を加えてみた。 幽霊がいる会社より、 幽霊がいることをなんとも思わない会社の方がイヤだなと思った。
2010年 ショートショート「ハードな仕事だって、言っておいたよね?」
着任早々、一ヶ月で辞めたいと言い出した若者に、私は強い口調で言った。
若者は「すみません」を繰り返すばかり。これまで辞めていった多くの若者と同じように、説明も弁解もない。これじゃ話にならない。
「理由はなんです?
仕事はきついかもしれませんが、残業代は出るし、なによりキクチさんは一流のプログラマだ。いっしょに仕事をすれば、得るものは大きいでしょう?」
若者は黙りこくっている。
こりゃ駄目だ。また募集をかけないと......。
◎
わが社が運用するサーバのうち、1箇所だけ人が居つかない。
いまはキクチという男が配属されているが、1人では心許ない。そこで交代要員を募集するんだけど、どいつもこいつも短期間で辞めてしまう。条件は悪くないのに。
◎
「仕事は、つらくありません」
ふいに若者がしゃべりはじめた。
なんだ、会話がつづいていたのか。近ごろの若者は、コミュニケーション能力に難アリだ。
「キクチさんはすごい技術者です。短期間でしたが、すごく勉強になりました。
でも、こ、怖いんです......」
「怖い?」
しかし若者は詳しく語らない。私は嘆息した。
「やれやれ、きみも「出る」とか「見た」って言うのかい?
あのサーバ室には幽霊が出るって噂があるけど、電子部品のカタマリであるサーバに幽霊やら妖怪やらが憑くかね。ああいうのは、もっと自然界にいるんじゃないの?」
すると若者は小さな声でつぶやいた。
「いえ、......は怖くないです」
「なんだって?」
「幽霊は出ます。なんと言おうと出ます。
それはいいんです。仕事ですから、堪えられます」
「それじゃ、なんで辞めるのさ?」
「......」
「なんだって?」
「......」
「え? なに?」
がばっと顔を上げて、若者は訴えた。
「キ、キクチさんが怖いんです!
あんな環境で、あんな質の高い仕事ができるのはおかしい。次に破損するディスクを予測できるはずがない。わからないことを幽霊に相談して、その答えが適切なのも異常です!
技術は覚えたいし、仕事も失いたくない。
でも異常なことを、異常と思わない人になりたくないんです!」
目が血走っている。
近ごろの若者は、コミュニケーション能力に難アリだ。
異常に慣れるのも仕事のうちだ。
私はすっかり慣れた。だからキクチが7ヶ月もサーバ室から出てこない事実を、なんとも思っていない。
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