第83話:トリフィドの涙

2010年 ショートショート
第83話:トリフィドの涙

「ユミさん、今日は包帯を外しますよ」

 医者の声に身が震えた。この2ヶ月、私の視界を覆っていた包帯が、はらり、はらりと解かれていく。ふたたび目蓋を開いたとき、世界は何色に見えるだろう?
「緊張しなくても大丈夫。治療はうまくいきましたから」
 やさしい医者の声が聞こえる。若いと聞いているが、低くて、いい声。私はまだ、彼の顔を見てない。

 ──2ヶ月前、私はトリフィドに被爆して、この病院に担ぎ込まれた。

 トリフィドは、正体不明のガス雲。発生から5年も経つのに、今もって正体不明。光化学スモッグが変質したものとか、宇宙から飛来したとか、某国の秘密兵器とか、さまざまな憶測が飛び交っている。
 トリフィドには有毒な粒子が含まれていて、これが目に入ると強烈な痛みをおぼえ、高い確率で瞳の錐体細胞を破壊される。色覚異常──つまり「色盲」になってしまうのだ。
 最初の1年で、世界人口の9割が色を奪われてしまった。あまりにも突然で、急速で、広域だったため、有効な対策は打てなかった。しかし色盲になってしまった人は、それ以上苦しむことはなかった。言い換えるなら、トリフィドを恐れているのは世界人口の1割以下。トリフィドの調査が進まないのも、そのためかもしれない。
 私はまだトリフィドに色を奪われていなかったが、2ヶ月前、ついに被爆してしまったのだ。

「さぁ、ゆっくりと眼を開けてください」
 私は目を開ける。ぱちぱち瞬きして、周囲を見て、そして......泣いた。
「ど、どうしました?」
「駄目です。色が! 色が見えます!」

 私はわざとトリフィドに被爆した。なのに体質なのか、手当が適切だったのか、色盲にはならなかった。だから色が見える。狂った色が!

「色が見えるなら、よかったじゃないですか。
 今どき、色が見える人は希少ですよ」

 にっこり笑う医者の顔は、赤と緑のまだら。病室の壁や天井には青い斑点が浮いている。お見舞いのバナナは赤い。気持ち悪い。トリフィドには染色作用もあって、席巻された人や街は極彩色に塗りつぶされてしまった。だけど大多数が色盲になってしまったので、誰も気づかない。

「もう堪えられない」

 私は泣き崩れた。

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