第84話:顔と名前とココロの不一致
2010年 ショートショート「たとえ姿形は変わっても、あなたはシュウジさんです!」
病院のベッドで目覚めたぼくを、2人の美女が迎えてくれた。黒髪で和服の似合うスミレさん、茶髪ショートヘアのアカネちゃん。2人はぼくの姉と妹らしい。
タンクローリーとの衝突事故でぼくは焼け死んだが、全身の皮膚と臓器を取り替えるという荒技で現世に呼び戻された。しかし代償として、「顔」と「名前」を失ってしまった。
「なにぶん緊急事態でしたので、顔写真を取り寄せている間がなかったのです」
と医者は説明する。とんでもない話だが、怒りの感情はわいてこない。なぜなら、事故のショックで記憶を失っていたからだ。
「全生活史健忘ですね。心因性ですから、そのうち思い出すでしょう」
と医者は説明する。とんでもない話だが、どうにもならない。
鏡を見ても、自分の顔に思えない。
(ぼくはシュウジなのか? そして、あんな美人姉妹と暮らしていたのか?)
医者に呼ばれてスミレさんが病室を出ると、アカネちゃんが抱きついてきた。
「あいでで」
「ごめんなさい。イタイの、飛んでけー♪」
呆れて口を開いた瞬間、アカネちゃんにキスされた。
「あむむ!」
あどけなさが残る年頃なのに、なんて濃厚なキス! 彼女の指先がぼくの胸元をまさぐりはじめたとき、ふっと熱源が消えた。
スミレさんが病室にもどった。アカネちゃんは何食わぬ顔で外を見ているが、ぼくは上昇した心拍数をもてあましていた。
「アカネ、車の手配をなさい」
「えー、やだー」
「......」
無言の圧力に負けたのか、アカネちゃんが部屋を出て行く。すると今度はスミレさんがすり寄ってきた。
「シュウジさん、またアカネにからまれたのね」
ぎゅっと手を握りしめ、顔を近づける。甘い香りが鼻孔をくすぐる。毛先が腕に触れると、ぞわわっと鳥肌が立った。
「流されちゃ駄目よ。流されるなら......」
潤んだ瞳に吸い寄せられる。すごい、吸引力だ! まつげが触れあった瞬間、ふっと磁場が消えた。
アカネちゃんが帰ってきたのだ。すっと立ち上がるスミレさん。
「帰りましょう。シュウジさん」
「帰ろう。お兄ちゃん!」
ぼくは、ぼくが記憶を思い出せない理由がわかった。
シュウジは、この姉妹との関係に擦り切れていたのだ。
◎
数時間後、医者と刑事がナースセンターに駆け込んできた。
「409号室のシュウジさん、退院しちゃった?」
看護師が頷くと、2人はがっくりうなだれた。
「あちゃー。あの人はタンクローリーの運転手だったんだ」
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