第88話:遺産相続
2010年 ショートショート「カナちゃん、わしの遺産を継いでくれんか」
驚くか、喜ぶところを期待したが、カナちゃんはこっちを見もせずに断った。
「あのね、私は遺産目当てで介護してるんじゃないの」
テキパキ部屋を片付けていく。
「しかしな、わしの遺産はそれなりの規模だぞ。わしは家族がおらんから、せめて最後にお世話になったカナちゃんに報いたんじゃ」
お金をもらってくれと頭を下げるのは奇妙だが、わしは本気だった。
仕事を終えたカナちゃんは、ベッドの横にちょこんと座った。
まとめていた髪をほどくと、急に女らしくなる。年甲斐もなく、どきりとしてしまう。
「本当に家族がいないって言える?」
──つまり、こういうことだ。
わしは十数年前、病院のベッドで目を覚ました。頭を強く殴られたショックで、記憶の大部分を失ってしまったらしい。その後、わしは事業に成功して巨万の富を築いたが、記憶が戻ることはなかった。
順風満帆な人生だったが、末期がんが見つかった。もう長くは生きられない。それで介護施設を兼ねた山荘に越してきて、お迎えが来るのを待っているわけだ。
「あの新薬を試してみるか...」
先日、介護士のカナちゃんが外国の新薬を見つけてくれた。それを飲めば、記憶が戻るかもしれない。過去への興味は失せていたが、身辺整理すべきなんだろう。
◎
「どう、私のことがわかる?」
枕元に、かわいい娘さんがいた。エプロン姿で、髪を結っている。
「あぁ、カナちゃん...」
「それじゃ、自分のことはわかる?」
わし?
わしは──おれは、マフィアの幹部だった男だ。
あの頃のおれは危ないことが大好きで、善悪も損得もなかった。ボスの娘に手を出したおれは、組織から追われる身となるが、逆に組織を壊滅させてしまう。あれは痛快だった。しかし最後の最後で、ボスの娘まで裏切ってしまう。
爆発炎上する工場から脱出できたが、おれは重傷を負って、記憶と、凶暴性を失った。そして第2の人生を歩んでいたわけだ。
「どう、私のことがわかる?」
枕元に、美しい女がいた。黒い革ジャンを着て、長い髪を垂らしている。
「あぁ、レナか...」
懐かしさで胸がいっぱいになる。
「おれを許してくれ。愛していたのに、自分を止められなかった。
しかしおまえは死んだはず。最後のセリフはたしか...」
「そこまで思い出せれば、十分ね」
カナちゃんはピストルを取り出して、私の頭に突きつけた。
「遺産はもうたくさん」
サイレンサー付きの銃声は、ため息のようだった。
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