創作  2011年03月03日(木)に書いた ショートショート

第93話:改心薬

第93話:改心薬

「いいえ、改心薬は完璧です」

 タニ博士は静かに断言した。低い声が胸に響く。なんだか気圧されてしまう。これが世界を変えた碩学のカリスマか。

 《改心薬》は悪い心を殺す薬──。悪人であればあるほど善良になるのだから、世界の刑法は一変した。改心した犯罪者はみずから率先して罪をつぐなうのだから、監視する必要もない。死刑は廃止され、刑務所も閉鎖された。犯罪者による福祉活動で、社会は住みやすくなった。まぁ、純粋なボランティアが「元犯罪者」と誤解される弊害はあるけど、些細なことだ。
 もちろん、発明当初は理解されなかった。犯罪者の改心ではなく、報復を求める被害者が多かったからだ。

 憎むべきは罪か、人か?

 長い長い議論の末、改心薬は受け入れられた。ぼくが生まれたころは、社会に必要不可欠なものになっていた。
 実刑がなくなっても、犯罪発生件数は減っている。改心薬によって自分が変わってしまうことへの恐怖が、抑止力になっているわけだ。

「しかしですよ、博士。改心者の自殺率が高いことは事実なんですよ」
「それは、自殺の定義によるんじゃないかね?」
 さらりと返され、言葉に詰まる。たしかにそうだ。被害者が望めば、犯罪者は首を吊るってつぐなうだろう。だが現代人は、安易に「死ね」と言わない。結果、奉仕活動で過労死したり、危険な作業で事故死する例が相次いでいる。どれも、昔なら死刑に相当する犯罪者ばかりだ。
「えぇ、自殺じゃない。殺されたんです。
 改心薬は、社会が手を汚さない死刑なんです!」
 意を決して踏み込んでみたが、タニ博士を揺らすことはできなかった。
 博士は目を伏せて、コーヒーを飲み、静かに答えた。

「いいえ、改心薬は完璧です」

 ぞくっとした。博士がつづける。

「きみが指摘するような解釈もあるかもしれない。
 私もずいぶん悩みました。だから自分を試したのです」
「まさか……あなたも改心薬を?」
「えぇ。
 しかし私の信念は変わらなかった。だから私の発明は正しいし、完璧なのです」
「しかし……」
 そのとき、はっと気づいた。
 死によってつぐなえない犯罪者は、生によってつぐなうしかない。つまり死ねなくなるのだ。博士は今年で97歳になるが、それにしては快活すぎないか……?

「きみは、改心薬は悪だと訴えたいのだろう?
 そこに迷いがあるなら、改心薬を飲んでみなさい。
 飲めばきっと、わかりますよ」


(931文字)

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