第100話:夜の渚にて

2011年 ショートショート
第100話:夜の渚にて

「ねぇ、希望はあったのかしら?」

 カナミが不意に訊ねてきた。
 どう答えるか迷ったが、質問が過去形と気づいて、ハッキリ答えることにした。

「なかった。今なら断言できる。
 人類は滅亡する運命だったんだ」

 第三次世界大戦が勃発し、数千発のコバルト爆弾が炸裂した。なんて愚かな人類。北半球は瞬く間に死滅して、汚染は南半球にも押し寄せた。いまや汚染されてない土地の方が少ない。地球は大きいから、まだ時間はある。あと数ヶ月くらい。それで生存可能な土地はなくなる。どこにも逃げ場はない。

《北半球からモールス信号が届いた。まだ生存者がいる!》
《気候変動で、汚染は南半球にやってこない!》
《脱出用の宇宙船が建造されている!》

 希望はさらなる絶望を呼び寄せた。いま思えば、混乱の日々だった。
 あらゆる努力が徒労に終わったとき、人々は運命を受け入れた。誰かと争うと、罵ろうと、それで生存日数が伸びるわけじゃない。地中に潜ればさらに数日は死を遠ざけられるが、窮屈な穴の中で死にたくない。
 街は静かになった。
 人々は家に帰って、愛する人と過ごした。誰かを傷つけた者は心から詫び、傷つけられた者は寛大に赦した。すべての希望が失われたとき、地上に幸福が訪れた。これが終末なら、悪くない。

「今日の放送をしてくるね」
「たのむ」
 カナミが通信室に入っていった。1日に1度、地上に向かって放送しなければならない。

《地上に残された人々へ。私は宇宙ステーションの乗組員です。
 地上は汚染されましたが、わずかな人類は宇宙に逃れました。
 私たちはここで数百年を暮らし、清浄になる日を待ちます。
 残念ながら、ステーションに到達する手段はありません。
 ですが知っておいてください。人類は決して滅びません......》

 もちろんウソだ。
 ステーションにいた数十名のクルーは、みんな薬を飲んで安楽死してしまった。残っているのはおれとカナミだけ。

《地上の人々を安らかに死なせるため、手の届かないところに希望を輝かせたい。
 きみたちは最後の希望を演じてほしい!》

 そう依頼してきた大統領も、きのう安楽死した。勝手なもんだ。
 ステーションの食糧や電源は十分にあるが、それらを使い切ることはないだろう。すべてが汚染されるのを見届けたら、おれたちも安楽死する。

(本当に希望はなかったのか?
 おれたちが偽りの希望になることで、本当の希望を隠してしまったのではないか?)

 そこだけ気がかりだった。

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