【ゆっくり文庫】宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」 The Life of Guskō Budori (1932) by Miyazawa Kenji
2014年 ゆっくり文庫 SF ファンタジー 宮沢賢治 日本文学 民話・童話026 ありうべかりし自伝──
ブドリは木こりの息子。ある年飢饉が起こって、両親は行方不明、妹ネリは人さらいにさらわれてしまう。山を降りたブドリは懸命に働いて、学んで、生きた。
原作について
宮沢賢治
(1896-1933)
2012年公開のアニメ映画「グスコーブドリの伝記」を見て、ひどいショックを受けた。ブドリが死にたくて死んだように見えたからだ。もともと危うい童話なのに、この改変はないだろう。納得できなかったので、自分なりに翻案することにした。
物語を単純化すれば、「多数のため少数の犠牲はやむを得ない」となる。ブドリはみずから望んで犠牲となったが、それでも許されることではない。神風特別攻撃隊も最初は志願制だったが、やがて強制されるようになった。自己犠牲の黙認や美化は危険なのだ。
しかし飢饉のつらさを知って、なお否定できるだろうか? 本作発表時にあった昭和東北大飢饉(1930-1934)は家族を引き裂き、産業を殺し、社会を混乱させ、太平洋戦争の遠因になったと言われている。ひとりの犠牲も許さないと言うのは立派だが、そのために大勢が苦しみ、社会が崩壊してもかまわないと言えるだろうか?
正しいかどうかで言えば、正しくない。
そんなの、わかりきっている。
しかし代替案なく批判するのは卑怯だ。
注目すべきは、ブドリが自分と世界を分けて考えてなかったこと。大きなものの一部として、やるべきことをやった。つらい人生を歩んできたのに、そんな気持ちになれたことは奇跡だ。
死は美徳じゃない。しかし、みんながブドリのような気持ちで日々を過ごせれば、世界はどれほど豊かになるだろう? それこそ賢治が見た夢かもしれない。
翻案について
時代背景や作者の人物像を透かしてほしいので、冒頭に《おまけ》をもってきた。いろいろ調べたのに、紹介できる情報はわずかだった。
テーマを明瞭にするため、現代から過去を回想するよう構成にした。各パートも短く刈り込んだ。4章以降(ブドリ青年期)はだいぶ圧縮された。興味がある人は原文を読んでほしい。
各パートごとにブドリの気持ちを言葉にしたが、ブドリの内面で進む「世界との一体感」は言葉にできなかった。すべてを語ることは簡単そうに見えて、あんがい難しい。
ペンネンナームはクーボー博士に統合した。ふたりの言動には妙な生々しさがある。おそらくモデルを忠実に再現しているのだろうが、物語として分ける意義はうすい。
クーボー博士が「17年前の冷害を食い止めるアイデアをもっていた」と示唆されるのは、私の拡大解釈である。これにより、人々を救う方法を知っていることと、それを実行できることのちがいを強調できた。宮沢賢治の文章は言葉が足りないので、こうした解釈の余地がたっぷりある。
ブドリの決意をどう表現するかは悩んだ。原文はあっさりしてるが、ドラマティックに盛り上げるのは避けたい。とはいえ、どう描いても一種の陶酔感が出てしまう。
英雄になりたいわけじゃない。正しいとも思ってない。ただ自分を守るように、世界を守った。
敗戦後の日本は、こうした機微を描きにくくなったように思う。
動画制作について
本編の主役が霊夢になったため、語り部は魔理沙がつとめることに。きつね面をつけた霊夢は【ゆっくり文庫】の象徴だが、入れ替えも楽しかった。
※お面が本体で、ゆっくりキャラに憑依しているように見える
人さらいはレミリアにするつもりが、気がつくとアリスになっていた。悪女ばかりやらせて申し訳ない。エコーをかけて、異質な存在にした。本作における唯一の悪役だね。
※動画にすると肌色が薄くなるので、霊夢と妖夢の「やつれ顔」が真っ白になる
赤ヒゲ夫婦をきめぇ丸&チルノにした瞬間、「かわいい女」と世界がつながった。チルノが霊夢に「勉強しなさい」と言うのは奇妙だが、これはこれで感慨深い。当初、ネリの息子はフランだったが、まぎらわしいのでルーミアにした。リボンが親子っぽい。
※ゆっくり文庫も回を重ね、いろんなイメージがついた
概念図
本作は科学的な説明が多いが、そのまま読み上げても冗長なので、概念図を描いた。同じ調子で調理器発電所や肥料過多も描くつもりだったが、冗長なので割愛した。
※正確ではないが、雰囲気は伝わるだろう
怪我した霊夢
頭に包帯を巻いた霊夢が必要だったので、描画した。第一号は鉢巻になったため、左目をふさぐ第二号を制作する。包帯の巻き方がおかしいが、私の技量ではここまで。こうしたところにかかる手間をなんとかしたい。
怪我した霊夢1 |
怪我した霊夢2 |
ひとりごと
YouTube版を作ろうと過去作品を振り返ったが、時間ばっかりかかって進まなかった。修正箇所は見えているのに、細かく調整する気力がわかないのだ。こういうのって、ほんと勢いが大事。一度できたことが、何度もできるとはかぎらない。