【ゆっくり文庫】宮沢賢治「銀河鉄道の夜:カムパネルラ視点」 Night on the Galactic Railroad (1934) by Miyazawa Kenji
2015年 ゆっくり文庫 ファンタジー 宮沢賢治 日本文学 民話・童話045 幻想第5次稿として──
カムパネルラは善良な少年。いじめられるジョバンニを気にかけ、貧しい人たちを悲しみ、なにかを為したいと思っていた。ところがカムパネルラは不意の事故で死んでしまった。
原作について
宮沢賢治
(1896-1933)
「銀河鉄道の夜」は有名だが、ちゃんと読んだ人は少ないだろう。実際、読みにくいし、わかりにくい。たくさん造語が出てくるのに、説明はまったくなく、展開は唐突で、意味がわからないシーンが多い。なのに魅了される。書きかけの童話なのに!
宮沢賢治は才能ある詩人だったのか? 私には測りかねる。
私と「銀河鉄道の夜」との出会いは、1985年のアニメ映画(監督:杉井ギサブロー)だった。その美しくも悲しい世界に感動したが、同時に物足りなさも感じた。カムパネルラの心が見えないのだ。カムパネルラは超然として、なにも告げず去ってしまう。幻想と現実で二度も親友を喪うジョバンニがあわれだった。
その後原作を読んで、アニメ映画が翻案されていること、それでいてストーリーが整理されていないことを知る。なぜ「たったひとりの神様の議論」を省いたのだろう? キリスト教の色合いが強まったじゃないか。
ほかの映像化作品も見たけど、どれも視聴覚表現に傾注し、ストーリーはおざなり。カムパネルラは聖人で、ジョバンニは放り出される。
「銀河鉄道の夜」を【ゆっくり文庫】に加えたいが、なんとなくいい話じゃ納得できない。なので、カムパネルラ視点で翻案することにした。ジョバンニ視点──原作そのままの映像化はしない。それはもう、いろんな人がやってるから。
- 『銀河鉄道の夜』:新字新仮名、角川文庫1969年 ... 改定前の初期稿
- 『銀河鉄道の夜』:新字新仮名、新潮文庫1989年 ... 改定後の初期稿
- 『銀河鐵道の夜』:旧字旧仮名、岩波文庫1951年 ... 最終形
翻案について
「銀河鉄道の夜」は第4次稿が最終形とされるが、第1-3次稿と大きく異なっている。なのでもし第5次稿があったら、さらに異なる展開があったかもしれないと、妄想してしまう。
私は第4次稿でカットされた「ブルカニロ博士」や「プレシオスの鎖」といった要素も好きなので、すべてを統合したストーリーを構想した。
これは私にとって、幻想第5次稿である。
カムパネルラ=宮沢賢治、という仮説
カムパネルラのモデルは、賢治の死別した妹トシや、無二の親友である保阪嘉内とする研究があるが、私は宮沢賢治本人ではないかと思う。
宮沢賢治は裕福な古着商の長男として産まれ、困窮した人たちが家財道具を生活費に替えるところをまぢかに見て育った。その罪悪感と向き合うためか、賢治は学業を修め、農業改革のため奔走した。
その姿をカムパネルラに置き換えると、「ほんとうの幸いを探す」というテーマがわかりやすくなった。またカムパネルラ=宮沢賢治なら、野原で待っているのは妹トシになるから、母親問題(存命かどうか不確実)も解決する。
カムパネルラは「なにかを為したい」と願いながら、なにもしないまま死んでしまう。しかしジョバンニと旅することで、自分の生が無駄でなかったことを悟り、ジョバンニと別れる決心をする。
カムパネルラは聖人でも超越者でもない、年端もいかぬ少年だ。心の準備もないまま死後の世界に放り込まれ、さまざまな不安や怖れ、疑い、迷いがあっただろう。
そんなカムパネルラを、ジョバンニが安定させる。互いが互いを必要としながら、依存していない。いい友情を描けたと思う。
※ジョバンニがいると落ち着くカムパネルラ
振り返ると「銀河鉄道の夜」と「グスコーブドリの伝記」は対を成しているようだ。みんなの幸いのために死ぬか、生きるか? どちらの選択も尊い。
原作を知らない人には、おすすめできない
原作のジョバンニは、活版所で働いて、家で母親と会話して、ケンタウル祭で孤独を感じ、天気輪の柱に向かうが、ぜんぶカットした。カムパネルラ視点だからね。
ふたりは白鳥の停車場で降りて、プリオシン海岸まで歩き、化石の発掘現場を見学し、くるみの化石を拾うが、これもカット。燈台守も、賛美歌もカット。かように原作の大部分が削られている。
※家庭教師(さくや)とお嬢様(れみりあ)はハマり役だった
一方で原作にないシーン、原作の要素をふくらませたシーンも多い。本来のブルカニロ博士はジョバンニを導く存在であり、プレシオスの鎖は生者の課題である。原作を読んだ人も、「あれ? こんな話だったかな?」と誤解しちゃうかもしれない。毎度のことながら、ここまで変えちゃっていいのか、悩む。
【ゆっくり文庫】を真に受ける人はいないと思うけど......。
配役について
当初の脚本には、グスコーブドリの両親(ゆかり&ゆゆこ)の幽霊が、カムパネルラに挨拶するシーンがあったんだけど、複雑になるので修正された。赤ひげ夫婦はその代役。そのため、ブルカニロ博士(らん→ゆかり)、車掌(ちぇん→ゆゆこ)、クラスメート(チルノ→大妖精)、鳥捕り(きめぇ丸→霍青娥)と差し替えられた。
鳥捕りはきめぇ丸しかいないと思っていたが、青娥も悪くない。青娥は「つかみ所のない半悪人」という、珍しいポジションになりそうだ。
※鳥捕りはきめぇ丸だった
※カムパネルラの水難を伝えるクラスメートたち(→顔は伏せられた)
動画制作について
車窓と座席のシルエットで「汽車の中」を表現しているが、この仕組みを思いつくまでたいへんだった。また4人がボックス席で向き合うと窮屈になるから、【ゆっくり文庫】の標準サイズ(0.700)をわずかに縮小した(0.650)。これもなかなか思いつけなかった。
汽車はジョバンニの背中に向かって進行するため、景色は左→右に流れる。本来なら年少者を進行方向に向けて座らせるべきだが、本作の主人公はカムパネルラであり、カムパネルラが最初に座るため、こうなった。
【ゆっくり文庫】の主人公はたいてい右に配置され、オブジェクトは左→右に流れる。絶対のルールじゃないが、逆配置は落ち着かなかった。感覚的にやってるけど、なにか法則があるのかもしれない。
※ジョバンニは進行方向に背を向けている
オブジェクト制作
NASAの天文写真やタイタニックの資料を集めたが、動画に使われたのは半分以下。素材を見てから構図を考えるから、どうしても無駄が出てしまう。
探して見つからないものは自作した。銀河鉄道の路線図はフリー素材を加工したものだ。手間がかかったわりに表示される時間は短いが、銀河鉄道がどこを走っているか理解できればさいわいだ。
※切符のデザインは原作の描写と異なる
「三角標」はうまく再現できなかった。それっぽいものは作れるが、車窓に流すと不自然なのだ。【ゆっくり文庫】の限界を思い知らされた。
※アニメ映画版の三角標
※テレビドラマ版の三角標
どのシーンも構図が思い浮かばず、試行錯誤を繰り返した。これで52本目の動画になるが、製作スピードが早くならないことがもどかしい。
※今回、お気に入りの顔
※使用されなかった駅名票
時間制限を無視する
【ゆっくり文庫】は20分以内と決めていたが、今回はオーバーさせた。制限を守るためには「家」か「鳥を捕る人」を削るしかないが、それでおもしろくなるとは思えなかったからだ。キリのいい秒数に揃えることもしなかった。
悩むことはたくさんあるから、負担は少しでも減らしたい。
雑記
脚本があがったのは昨年夏で、2015年1月に公開するつもりだったが、出来栄えに納得できず、さらに9ヶ月も推敲を重ねた。最初の動画より格段によくなったと思うが、視聴者がどのように感じるかはわからない。
難産だったけど、アップロードしてしまえば、もう悩まされることもない。次のことを考えられる。あと何本か推敲中の動画があるけど、早く切り上げて、楽になりたい。