創作  2016年10月16日(日)に書いた ゆっくり文庫

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」

小さな家族の、小さな奇跡──

原作について

菊池寛

菊池寛
(1888-1948)

 戯曲(芝居の台本)として書かれたのがミソ。描写は少ないのに黒田家の食卓が──まるで舞台のセットのように目に浮かぶ。劇中の時間と、読んでる自分の時間がシンクロし、その場に居合わせたような臨場感がある。不思議だ。
 構成もうまい。さりげない会話から登場人物の背景や心情が描かれ、じょじょに近づく父親の影が緊張感を高めていく。ところが実物の宗太郎(父)の物腰やわらかく、つい気を許しそうになるが、賢一郎が怒り出す。母の記憶は美化され、新二郎とおたねは実物を知らない。父のことをしっかり記憶していた賢一郎だけが、正面から向き合えたのだ。

 賢一郎が怒ったことで、父は詫びることができた。
 賢一郎が赦したことで、家族は受け入れることができた。
 父は、本当の意味で、帰ることができた。

 かくあるべしと褒めそやすつもりはない。父親が災いとならぬ保証もない。いずれにせよ、部外者がとやかく言うことじゃない。

 とりあえず、よかった。
 それで十分だ。

翻案について

 どんな物語も時間経過によって硬くなり、食べにくくなる(=古典になる)。【ゆっくり文庫】は古典を小さく切ったり、煮込んだり、味付けすることで、現代人の口にあうよう料理している。大幅にアレンジされたものもあるが、原著の持ち味は失われていない(と思う)。

 その点、「父帰る」は料理しにくい。短く、完成度が高いから、手を加える余地がない。チェーホフ「かわいい女」のように、《おまけ》で時代背景を説明するつもりだったが、お芝居の雰囲気を壊したくない。よって編集後記に書き出しておく。興味ある人はこのページを読むだろうし、興味ない人に述べても意味がない。

1920s 観客たちの時代背景

菊池寛と芥川龍之介

※一番左が菊池寛(31歳)、隣が芥川龍之介(27歳)
1919年(大正8年)長崎滞在時

 「父帰る」が発表されたのは大正6年(1917)だが、3年後の舞台化によって広く知られることとなった。上演を見た芥川龍之介は、ほかの観客と同じように涙を浮かべたと言う。
 なにが観客の琴線に触れたのか?

1920年代の銀座

※1920年代の銀座

 大正9年(1920)の大日本帝国は好景気にわき、大正デモクラシーによって自由な気っ風に満ちていた。国際連盟の常任理事国(1920-1933)になるなど、世界的な評価も高まった。日本人は近代化を成し遂げたのだ。

和田邦坊による風刺画「成金栄華時代」(1928)

※成金栄華時代 (1928)

 しかし失われたものも多かった。

 地租改正(1873)によって物納が金納になると、あらゆるものが金銭に置き換えられた。資本主義によって貧富の差が拡大したが、明治政府は脱落者を怠惰とみなし、社会保障をしなかった。

 だれもが学び、働いて、利益を生まねばならなかった。

1910s お芝居の時代背景

 「父帰る」の舞台は、明治40年(1907)ごろ。上映当時から見て十年前にあたる。貧しくて、先が見えない、夜明け前のような時代であっただろう。

 ちなみに明治40年当時、菊池寛は19歳だから、おたねと同年齢である。翌年、菊池は高松から上京し、東京の華やかさに圧倒される。そういう意味でも「父帰る」の舞台は、遠きにありて思う「ふるさと」の情景なのだ。
 「父帰る」の芝居を鑑賞する客たちは、いわば成功者である。利益にならぬ習慣や関係を断ち切ることができた階層である。しかし芝居は、彼らの中に残っていたものを刺激したのだろう。

1909年(明治42)の高松電車停留所
※1909年(明治42)の高松電車停留所 (和歌山市の景観今昔より)

貧乏人の美談ではない

 舞台は「南海道の海岸にある小都会」で、築港があるから和歌山県和歌山市であろう。
 「カネがない」と繰り返されるため黒田家=貧乏と思いがちだが、「中流階級」と明記されている。かつては困窮しただろうが、少なくとも明治40年はふつうに暮らせている。それでも「カネがない」と嘆くのは、おたかの悪癖だろう。

 「父帰る」は庶民の物語であって、貧乏人の美談じゃない。まぁ、大正9年の東京市民にすれば、明治40年の庶民は貧乏人かもしれないが、「貧乏人は情に厚い」で済ませるのは短絡にすぎる。ここは強調しておく。これは貧乏人の美談じゃない。

貨幣価値について

 お金の話がちょくちょく出てくるが、「現在の○×円」という注記は入れなかった。簡単に換算できないし、誤解されたくなかったからだ。それでも興味ある人のため、私が調べたことを書き出しておく。正しい資料ではないので、まるごと信じないように。

 おたかが宗太郎と結婚したとき、「公債や地所で、二、三万円はあったんやけど」と言っている。明治8年(1875)の平均月収は1円70銭で、単純計算すると1円=20万くらいだが、これを50億と換算するのは乱暴だろう。おたかは物事を誇張する傾向があるようだ。

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※短時間で恨み言を繰り返すおたか

 宗太郎が出奔したのは明治10年(1877)。このとき持ち出した学費が16円だから、月収9ヶ月分。金銭的ダメージも大きいが、父親(宗太郎)が長男(賢一郎)の将来をつぶしたことに、おたかは絶望し、一家心中を決意したと思われる。

 その後、宗太郎は「獅子や虎の動物を連れて興行していた」という証言がある。「あれは戦争のあった明くる年やけに、もう十二、三年になるのう。」とあるから、日清戦争が終わった明治28年(1895)であろう。第三子(おたね)が女の子と知ったのは、このときだ。日清戦争後は好景気になったから、宗太郎の羽振りがよかったのは事実だろう。

 帰宅後、宗太郎は「四、五年前までは、人の二、三十人も連れて、ずうと巡業して回っとったんやけどもな」「俺だって二万や三万の金は取り扱うてきた男じゃ」と述べるが、利益率も、真偽もわからない。おたねの財産と同じで、誇張されていると思われる。
 あんがい、宗太郎とおたかは通じるものがあるかもしれない。おたかは自分の被害を強調し、宗太郎を悪く言うが、そのくせ未練たらたら。きっと、子どもたちに話してない事情があるのだろう。夫婦のことはわからないものだ。

 劇中の現在である明治40年(1907)。賢一郎と新二郎の稼ぎがあわせて月60円で、貯金は1,000円に達していない。明治40年ごろだと1円=1万円くらいだから、おおざっぱに換算すると「兄弟2人分の月収合計が60万円で、貯金が1,000万円になったら、おたねの結婚に500万出そう」と言うことになる。

 当たり前だが、現代人が「妹の結婚に500万払う」と言うのと同じ意味ではない。このころは局地的なインフレーションが起こっており、10年前に賢一郎が稼いだ金額を、現在の新二郎はたやすく稼げるだろう。しかし賢一郎が身を削って稼がなければ、新二郎の卒業も就職もなかった。
 近年の日本はデフレだから、「貯金しておけば物価が下がってトクをする」という予想が成り立つが、インフレ状況下ではお金の価値が減っていくため、「いま、どこに、どのくらい投資するか」で未来の差が大きくなる。自分の夢をあきらめ、弟と妹に惜しみなく投資し、なおかつ貯金もあるのだから、賢一郎の采配は正しかったようだ。もっと大きなカネを扱っていた父・宗太郎が落ちぶれたことから、当たり前の成功ではなかったことが伺える。

生活習慣について

 冒頭、おたねは頼まれた仕立物(縫い物)を届けに行っている。金銭の授受はないようだが、その代わりに農産物などをもらっているかもしれない。おたかにとっては当たり前の「助け合い」だが、賢一郎にとっては時代遅れの「悪習」に見える。わずかな会話に、世代間のギャップが描かれている。

 賢一郎は20歳で普通文官に受かっている。これは判任官(下級官吏)のことで、まぁ、公務員と考えていい。高級文官(官僚)になれたはずなら、相当な努力家だったのだろう。このあたりは少し知っておいてほしいので、わずかだが注記を入れておいた。

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※必要最低限の知識

 賢一郎と新二郎は帰宅後、和服に着替えている。このころは、外で仕事をするときは洋服、家に帰ったら和服というのが当たり前だったようだ。しかし頭しかない【ゆっくり文庫】じゃ表現できないので、新二郎が着替えるステップは省いた。

家父長制について

 よく読むとわかるが、母・おたか、娘・おたねは、切迫した状況にただ泣くだけである。おたねを賞賛する言葉も「器量よしやけに、ええ所から口がかかるしな」と、容姿と結婚先のことだけ。女子の立場が低かったことが伺える。

 明治民法で家父長制が保証されていたため、家長権(家族への統率権)が家父長に集中している。父・宗太郎が帰還すれば、家長権は賢一郎から宗太郎に戻ることになるから、賢一郎が反発するのも無理はない。もちろん、父も子も家長権なんか気にしてなかっただろうけど。
 家父長制は1947年(昭22)に廃止され、男女同権が当たり前となった。2016年現在、家父長制が残っているのは天皇家だけである。家父長制を時代遅れで、愛情がないと考えるのは早計だが、そのへんの話はまた今度。

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※賢一郎は家族を守ってきた。家族を守れる者が家長、つまり父である。

方言について

 当初は方言をなくし、標準語に置き換えるつもりだったが、味わいがなくなったので戻した。黒田家が話しているのは紀州弁だろうか? イントネーションがわからないが、わかってもゆっくりボイスじゃ再現できない。おかしなところがあってもご容赦いただきたい。
 方言をしゃべると、キャラクターのイメージが変わるね。

セリフの簡略化、シーンの追加

 テンポをよくするため、セリフをちょこちょこ刈り込んでいる。おもに宗太郎の消息を省いたが、なくても支障ないだろう。気になる方は青空文庫と読み比べてほしい。

 それからクレジット後に、家族団らんのシーンを追加した。菊池寛があえて伏せたところではあるが、やっぱり幸福なイメージで物語を締めくくりたい。どのみち先のことはわからないのだから。
 「父帰る」は1927年、1935年、1952年と3度映画化されているが、どれも見たことがない。この短いストーリーをどう脚色したのだろう? 気になる。

動画制作について

 一幕一場で、簡単に作れるだろうと思っていたが、感情表現が難しくてずっと放置していた。タイムスタンプを見ると作成日は2014年11月だから、「番町皿屋敷」の公開時に着手したことになる。2年越しだ。

 こうして完成できたのは、配役がハマったからだ。東方Projectに通じた方なら、八雲家(八雲紫、八雲藍、橙)と白玉楼(西行寺幽々子、魂魄妖夢)の混成家族に膝を打ってくれるだろう。東方Projectを知らなくても、【ゆっくり文庫】シリーズを見てきた方なら、なんとなく配役に納得してもらえるはず。

 配役が決まれば、ドラマが動く。

 あとは画面を見ながら細かく調整するだけ。賢一郎を高い位置に置く。画面中央に無邪気な次男と長女を配置。父が戻ると母が画面端に引っ込む。見えない玄関先。暗転後の捜索。これらの演出は、脚本段階では思いつかなかった。

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※縦書きテキストで「文章を読んでる雰囲気」を演出

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※花のような長女。母が無理心中したときは産まれておらず、父への憎しみも警戒もない。

【ゆっくり文庫】菊池寛「父帰る」
※見えない玄関先。夫婦(男と女)は、家族から少し遠い。

雑記

 八雲藍(モラン大佐)と幽々子(ミス・マープル)は、声の設定が同じだったので、共演するにあたり八雲藍の声を少し変えた。ほかにも橙、大妖精、慧音の設定も同じ。単発ゲストだから細かく設定していなかった。
 作品数が増え、ゲストの再出演が増えると、再調整が必要になる。すると過去作品を手直ししたくなって、むずむずする。困ったものだ。

 「父帰る」は劇中時間にあわせて10月はじめに投稿するはずだったが、「黒後家蜘蛛の会」が入って順延された。そして14日に投稿するつもりだったが、ニコニコ動画の運営から悩ましいメールが届いて、また伸びてしまった。やれやれ。
 再生数、コメント数は圧倒的に娯楽作品が優位だが、こうして文学作品も取り上げないと、【ゆっくり文庫】らしくない。

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